クイーンの映画を見て『MUSIC LIFE』を再認識

2018.11.07 Wednesday

 

 

 

 

 

 

最近のブログ、映画の事しか書いてないな。そして今日も映画ネタ。なんでだろ? (笑)  クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』を一足先に見てきました。ネタバレはないので大丈夫だと思うけど明後日公開なので楽しみにしている人は読まないでね〜。SNSには感想をこんな風に書いた↓

 


【キッス、エアロ、クイーン」という三大バンドを10代の時に聞いていた世代にはたまらない映画。裏切り、才能、時代、孤独『MUSICLIFE』には載っていなかった彼らの姿を知ることができる上に、あの名曲を聴きながら観るのだから、感動するに決まってる? ! w その数々の秀作やコードがどのタイミングで生まれ出来上がったのかのプロセスを知ることが出来てワクワクした。ラモーンズの『エンドオブ・ザ・センチュリー』くらい「ええ ! ?」という衝撃もある分、そこは「ただの革ジャン着たパンク・バンドじゃなかったんだ的な衝撃」が、クイーンというバンドを以前よりぐっと身近にしてくれる。『ジャージーボーイズ』や『ラヴ&マーシー』と並ぶミュージシャンの人間ドラマです】

 


映画はバンドあるあるも含むバックヤードの知られざる話。私は1970年代、クイーンにはそんなにハマらなかった。なぜなら彼らはメイン・ストリームの優等生バンドで、音は聴いていたけれどRUNNAWAYSやKISSの方が不良の匂いがしてカッコよくて断然好きだったから。パンクの登場でロックに対する意識も更に変わって。

 


洋楽ロックの情報源『MUSIC LIFE』はクイーンを3大バンドの一つと位置付け、彼らを日本で特別なバンドに仕立て日本独自のシーンを作った。いや作ってくれた。洋楽が今でいうK-POPくらいエネルギーを持っていた時代だったから、興味があるなし関係なく、とにかく華やかなバンドは全部目に入ってきた。雑誌の存在も時代と同じように華やかなままメインストリームにいたと思う。

 

 

今では表に出る必要のない編集者をキャラのように見せ親近感を作っていたり、(そのキャラ作りや人気投票のカップなんかはその後創刊のHM雑誌BURRNにも受け継がれていくんだけどw )、女子の夢を壊さないワクワクするバンドのカラー・グラビアがたくさん載っていて楽しかった。ラモーンズほとんど載ってなかったけど...(涙) そんなファンジンみたいな雑誌って今もあるのかな?

 


私はクイーンの熱心なファンではなかったのに、知らないうちにそのまま『MUSIC LIFE』の影響を受けていたということを韓国の友だちとこの映画の感想を話した時に感じた。『MUSIC LIFE』には日本で撮りおろした写真やエピソードがいつも載っていて、欧米のバンドと日本を密着・合致させていたけど、あれは今思うとものすごく潜在意識の中に刷り込まれていたんだなと。映画のシーンにフレディの自宅に飾られていた着物がチラっと映る。そこで初めて「何度も来日した、すっごく人気のあったバンド、クイーン」を一瞬感じられるのが確認作業をできたような気持ちになった。

 

 

『MUSIC LIFE』のように、バンドを大フューチャーしてくれる雑誌がなかった国のロック・ファンにはもしかしたら「私たちの」バンドにはなっていないのかもしれない。ましてや自国がツアーに含まれていなかったら。『MUSIC LIFE』はそこを作ってくれていた。バンドとファンをぐっと引き寄せてくれた。アンチからは「くだらない」と思われていた制服や着物を着せた撮影も、今となっては来日してくれた証。日本にいたのだ。もはやビッグ・ネームのバンドのワールド・ツアーに日本が入らない時代になりつつある今、奇跡にすら思えてくる…。

 

 

「熱心なファンじゃない」と公言はしたけど、映画の感想が韓国の友だちのように「イギリスの伝説的なバンドのドキュメンタリー」だけにならなかったのは、彼らの存在が『MUSIC LIFE』を読んできた自分にはもっと、ぐっと、ぐぐっと近い存在だったから。遠いイギリスのバンドなのに。

 

 

 


その『MUSIC LIFE』を作ってきた元編集長の東郷かおる子さんは、最近もラジオやテレビでクイーンのことを語ってくれている。だから彼らの存在は決して遠くには行かず、すぐそばにいる。「フレディ、あんなに出っ歯じゃなかったわよ」と東郷さんは言っていたけど(笑)、そんなことですら語ってくれる人がいるから、他の国のファンとは感じ方が違うのだ。『MUSIC LIFE』がくれたのは情報だけじゃなかった。クイーンの映画は『MUSIC LIFE』のことをまた違った角度から認識させてくれた映画でもありました。

 

 

 

 

その貴重な取材と写真の宝庫シンコーミュージックから本日発売。

誰かラモーンズも作ってくれないかな〜。来日密着的なやつ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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     『さらば青春のJAM』を見た

2018.10.12 Friday

 

 

 

最初にもしコレクターズのファンの人がこのページにたどり着いていたら、お断りしておきます、私コレクターズを語れる人物ではないのでバンドのことは書けないので〜。ごめんなさい。今日のブログはあの頃のJAMスタのことを書いた80年代回想ブログです。

 

 

『さらば青春のJAM』を観てきた。新宿の明治通りにあったライヴハウスJAMと日本のモッズ・バンド、コレクターズのコラボレート的なドキュメント。コレクターズを軸にモッズ・シーンの聖地( ? )だったJAMの終焉とバンドを絡めたドキュメント?  (とうたうにはバンドのヒストリーは少ないが...) ポイントは盛りだくさんな映画でした。

 

 

 

東京で『さらば青春の光』が公開された頃、私も単館シアターに足繁く通った一人。THE WHOが好だったけど、周りにフーが好きな子なんて一人もいなかった。だから東京のどこかにきっといるであろうフーのファンを探しもとめ、わざわざAラインのワンピース着て(笑)JAMスタにしばらく一人で通ってた。昔はJAMのことをジャムスタって呼んでた。

 

 

当時のJAMスタにモッズが集まる日は、コーラの瓶にストローさしてカッコつけて『さらば青春の光』の世界に浸れる場所だった。自分はあの映画で言ったらさしずめモンキーだけど、カッコイイ子もたくさんいて最初のうちは楽しかった。けど、いつまでたってもフーの話をできるような音楽をどっぷり聴いてる奴とはぜんぜん出会えず、しかもこの頃の自分は大江慎也の追っかけとNWOBHMの両立状態で吸い寄せられるようにツバキハウスやロフトやエクスプロージョンに通い、いつの間にかくら替えし(笑) 音楽の話をする人に出会えないJAMスタからはフェイド・アウトしてしまった。映画の中で加藤さんが言ってたけど、「この頃ロックは下北沢じゃなくて新宿だった」のは本当にそう。エクスプロージョンも新宿区だし(笑)「ストロベリーフィールズ」っていうカフェの名前も久しぶりに聞いてとっても懐かしくて嬉しかった。

 

新宿ロフトで打ち上げの大江慎也さん。これはROOSTER(Z)の頃。こんな写真も押し入りにどっさり...w

 

 

映画を見ていたら、コレクターズの登場は80年代後半。もう少し早くに出会っていたら違ったのかもしれないけれど、でも80年代の初頭にも、かっこいい日本のモッズ・バンド( ? )、ロンドン・タイムスはよく聴いていた。彼らは日本のSMITHSを目指していたみたいだったけど、音はモッズだった。「ハインツ・デミグラスソース」のソノシートは今もある。東京にはスリーピースのもう一つかっこいいモッズ・バンドがいて、Voがある日革ジャンで登場し客が面食らっていたのを今も覚えてる。あれはなんていうバンドだったんだろう?  当時はモッズとロッカーズは相反していたのに「好きなんだからいいじゃん」とステージに革ジャンで出てきて堂々としていてカッコよかった。これも確かJAMスタだった。

 

 

日本でモッズと言うとファッションとシーンのことで、音楽は次の次なんだなと思ってたけど、ある日代々木公園のフリマでモッズのファンジン「HERE TODAY」を見つけた。モッズ・ファッションのカッコイイお兄さんから買って読んで見たら内容はロンドンの新人モッズ・バンドのライヴ・レポートが手がきで書いてあったり、新しいモッズ・バンドの紹介をしていたり、ちゃんと音楽を知らせようとしていて、「こんな人もいるんだ」と知った。それが映画にも出ていた黒田マナブさん。ファンジンは今も取ってあるけど押入れから出せないので写真はなし。ファンジンもソノシートも手作り感と想いと熱がダイレクトに伝わってくるから捨てられないね。

 

 

映画の話に戻るけど、コレクターズのおかげで、JAMスタが最後にカッコよく見えた。そうじゃなかったら普通のライブ・ハウスが終わっただけだった。JAMスタに出たのは「ロフトに出れないからこっちでやってただけ」的発言はとても正直だし、武道館の後には勝者のセリフ。フロントふたりのいい関係性やバランスが見えて結局、人の魅力の映画かな、これ。無知ながらも楽しめました。

 

 

PS. D.I.Yのファンジンついでに一昨日届いたラモーンズ・ミュージアム・ベルリンの店長フロウが作った640ページのカタログも同じ。早く彼のインタビューを載せたいんだけどまだ返事が来ません。到着次第ラモーンズFCのマニアのページに載せます。しばしお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

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     『L7:プリテンド・ウィ・アー・デッド』日本公開決定!

2018.10.03 Wednesday

 

 

 

 

 

今日はラモーンズ・ファン・クラブの今後の活動予定を書くつもりでいたんだけど、こっちのニュースが飛び込んできたので、こちらから行きます。(ごめんね〜) でも ! ! 私がVoのドニータと友達になったのはおたがいがラモーンズ・ファンだったから。なので、この映画ラモーンズ・ファンも楽しめるのではないかな。

 


ライオット・ガール・ムーブメントのパイオニア、ロサンゼルスの女性4人組ロックバンド、L7の歴史を網羅したドキュメンタリー映画『L7:プリテンド・ウィ・アー・デッド』の公開が決定した。やったー。2015年に復活を遂げるまで、彼女たちの環境、実は色々とあった。というネガな方はどこまで描かれているのかはわからないので、映画を見てからまた書くけど、私は彼女たちとは1987年のテビュー作以来友達になった。という話はこちらをどうぞ

 

 

フェミニストの部分ばかり取り上げられてしまうけど、(それも彼女たちにとって本望だと思うが)、彼女たちのカッコ良さは、あのベースをぶいぶい言わせた重くキャッチー!? な曲と歌詞のセンスだと思う。『Shit List』とか『Wargasm』と造語のセンスも最高だし、『pretend we’re dead』なんて笑っちゃう。斜めなウィットがあの重低音に乗る爽快さこそL7サウンドの魅力だ。癒し?  いらない(笑) カリフォルニアにはオレンジカウンティのバンドや良質のバンドがたくさんいるけど、この言葉のセンス、なかなかないよね。もしかしたら今ならヒップホップの方に通じるかも。

 


L7は1990年代には何度も来日している。クアトロ、恵比寿ギルティ、いろんなところで演っていた。映画のトレイラーに使われている原宿のホコ天のシーンは旦那が撮った映像。こうやって使われた旦那の動画作品はRAVENというバンドもいます(笑) あ、そんな旦那映像を使ってラモーンズ・ビデオ上映会も考えているのという脱線ネタは今夜書きます。

 


オフの彼女たちはLAのお姉ちゃんたちだけあって都会の子? っていう感じ。なんというか野暮ったさはない。それにやっぱりNYと違ってのんびりしているというか、あまりストイックじゃないの。言葉は悪いが楽しい連中よ。ドニータは活動ができない間もずっと音楽を続けていたし、彼女のセンスはサビてない。私も映画をまだ見たいないので見たらまた感想もブログで書くけど、映画をきっかけに来日してくれないかな。メンバーが揃っている間にもう一度 ! ! !  熱望 ! ! !  メンバー・チェンジしたけれど、結局ジェニファー(b)を戻してオリジナルにこだわるところにラモーンズっぽさを感じたりして。

 


東京の公開は12月15日から新宿シネマカリテにて〈3週間限定〉。なんと70年代に活動していたイギリスの女性パンク・バンド、スリッツのドキュメント『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』と同時上映だそう。ほか全国順次公開。楽しみ ! !

 

 

 

 

 

 

 

 

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     USフェスティヴァル1982年のドキュメンタリー映像

2018.09.28 Friday

 

 

 

 

こんな映像があったのか ! !  です

 

 

『USフェスティバル 1982年』のドキュメンタリーです。ラモーンズの歌ってるシーンだけとか細切れのパーツ、パーツの映像はロック・ファンならyou tubeで見たことあると思う。でもこのフェスティバルがどうゆう経緯で生まれ、作られていったのかを制作サイドと出演者のインタビューで語られるのは初。ドキュメンタリーが残っていたとは知りませんでした。というか、もう細切れのプロカットが残っている時は「フル映像が必ずどっかにあるね〜」と疑った方がいいね。隠してるな〜と(笑)

 

 

 

 

出演バンドはラモーンズ、B-52、カーズ、トーキング・ヘッズ、そしてサンタナ、グレイトフルデッド、ポリス、フリートウッドマックなど、SIREレーベルのバンド総出演。フェスティバルはあのMacintoshの生みの親Apple共同創業エンジニアのスティーヴ・ウォズニアック。彼が30歳にして1億円も儲け「金が有り余っていた」からこのフェスティバルが生まれたのだ。くだけた言い方すると、「俺、金スゲー持ってるからウッドストックと違う快適で楽しいフェスティバルをやりたーーい ! ! 」ってなノリで作っちゃったフェス。だからスポンサー無しで自由に作ったらしい。

 

 

それでも「アナウンスしてからウッドストックの本も読んで(フェスティバル制作の大変さを知って)少し後悔した」そう。だからヘルスエンジェルスによる殺傷事件で有名なオルタモント・フリーコンサートの二の舞にならないように、制作のプロを用意し、警備の環境を固め準備を怠らずに基盤を築く。インタビューで多くの人が、たった2回しか開催されなかったこのUSフェスティバルが今のコーチェラ・フェスなどの土台になっていると語っているから本当に良いフェスだったんだと思う。私は個人的に苦労話しなんかは、1回目のフジロックや日高さんの苦労話しと被りましたが。

 

 

 

 

今やフェスティバルで見慣れた観客への放水シーンが、40度近いカリフォルニアの夏のフェスから生まれたものだということも初めて知って妙に納得。さて、ラモーンズの割合はマーキーが当時を回想する形で登場するので、結構多いのでラモーンズ・ファンは必見。そして、ここに写っている1982年のラモーンズは結成8年目のバンドだということ。アルバムはライヴと映画のサントラを省くと5作目の『エンド・オブ・ザ・センチュリー』がリリースされた後のフェスということになる。まだ『Too Tough To Die』なんてリリースされてないんだぞ〜という感覚で見てみよう。

 

 

 

 

ジョニーが「俺たちは万人受けしないんだ」と寂し気に語るシーンに私は吹き出してしまいましたが(すみません)、時代を同じように感じられるチャンスとも言えない?  いや、全然いいんですよ。「初めてきいたアルバムはベスト盤です」で。でも、ああ、あんないいアルバムを出した後なのに、こんなに諦めていたのか...とジョニーの心境も見える。そしてジョーイがバットを持ってステージに立ち「俺たちがラモーンズだ」というのもレアだよね。群衆にバンドをアピールしていて。なんか初々しい。

 

 

 

 

楽屋から革ジャンを着ながら出てくるシーン、日本のパンクの認識ではブリティッシュ・インベイジョンの返答とかなんとか色々と言われてるけど、バックステージでジョニーとスチュワートコープランドが楽しそうに会話しているシーンも見逃していない。たったの1、2秒だけど、楽しそうに喋っているじゃんって(笑)。

 

 

そうゆう1982年の「リアリティ」が記録映像からは見える。マーキーが「まだパンク・バンドとしてしか見られていない俺たちの実力を見せることができたし、みんな興味深そうに見ていた」と語るシーンも当時らしい。ラモーンズはレジェンドではないのだ。勝手にメンバーの証言やインタビュー記事から語られてレジェンドになったラモーンズの「そうなる前」の姿をぜひチェックしてみて。このDVD&B-RAYに関する詳細は、ラモーンズFCのニュース・ページをチェックしてください。週末にもう一回見よ。

 

 

 

appleのロゴって昔こんなんだったねぇ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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     セーソクで遊べ!? たっぷり楽しみました

2018.09.26 Wednesday

 

 

 

 


タワーレコード渋谷店で開催されていた伊藤政則メモラビリアと大貫憲章さんのトークショーに滑り込みで行ってきました!

 


8階で開催していたメモラビリアの方は、メタル・ファン、特に80年代にHMが青春だった人にはたまらないグッズの数々が並ぶワンダーランド。私はちょうどメタル雑誌で働いていた時代なのでなかなか懐かしかったです。あの時代は、特にレコード会社が雑誌のプレゼント用に宣伝のためのグッズを必ず作っていたので、ロゴ入りのペンや宣材Tシャツなんていうのがたくさん存在していました。

 

 

雑誌のプレゼントコーナーに載っていたアレです。だから非売品グッズも豊富で、見たことのないもの、知らないものもたくさんあって面白かった。私、当時プレゼント・コーナーの担当だったから結構見てきたけど、こんなに色々あるんだな〜と。しかしそれらを全部保管している伊藤さんが凄い。。。2万点以上あったと思う...設営した皆様ご苦労様でした。

 

 

 

 

 

そして地下のイベントスペースでは昭和のラジオ世代、雑誌・音楽専科リレー日記の読者にはイエーイ!なお二人、大貫憲章さんとのトークショーも。私は昨日しか行けなかったけど、日変わりで貴重なトークが展開されたようです。大貫さんと伊藤さんのトーク、特に大貫さんの番組にはラモーンズ・ネタで出演させていただいたり、私自身スヌーピーと大貫さんの全英TOP20のリスナーだったので、もう絶対漫談になるだろうと思っていたけど、そうでした(笑)(笑)

 

 

 

 

私はお二人と直接話せる機会もあるので、自分で聞けって話だけど、お二人に話してもらいたいことがある。それはまず新宿ツバキハウスのこと。ネットのインタビューでも語られていたけど、直接トークで聞きたい。当時、大貫さんは時々日曜日の方にもいらしていて、「メタルの日にもハノイロックスはかかるんだ〜!?」とDJブースの中で言ってたけど当時のパンクとメタルの認識やムードとか、伊藤さんは火曜日に行ったことあるのかな? とか。私の『メタル現場主義』で大貫さんから紹介されてツバキでやってみたら? と繋がってあの場ができたと聞いたので、そのへんの話の続きも。

 

 

それから音楽専科社で二人でリレー連載を毎月やっていたんだけど、あの記事のキャッチボールのことも聞きたかったかな。今度、またトークショーがありそうだったらネタ提供してみよう。自分が聞きたいだけだけど(笑)  ロックの逸話を聞くのは三度の飯より(くらい)好きです。

 


さて、伊藤さんに贈呈した【東京ヒプノシス】の作品を飾っていただいてました。おおお。まさかこんな素晴らしい形でデコレートしていただけるとは作っている時は思ってもいませんでした。UFOのオブセッションも帯までつけたいと言い出したのは私で明日発売の『月刊伊藤政則(仮)』の方に帯は付いていないので、ここに掲載しておきます。あ、伊藤さんが書いてとけ〜って言ってたので、『特撮征服』/ITOの方はの三人全部伊藤さんです。会場の人、ほとんど気がつかなかったみたい?!   注意 : 【東京ヒプノシス】とは。私とデザイナーの浅井さん、小林くんで制作する作品を作る集団です。先週命名したんだけど(笑)

 

 

ORIGINALは「宇宙征服 / UFO」

ORIGINALは「究極 / YES」

 

 

明日発売!!『月刊伊藤政則(仮)』奇想天外!?

文字通りセーソクで遊んだ。仕事した。楽しかった。

 

 

 

 

で。このお仕事、昭和のファン・クラブ & サブカル・メンタリティに火をつけたというか、アイデアや刺激をもらったので、今後のファン・クラブ業務に活かしたいと思います...(決意表明よ・笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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     『サラエボの叫び』を見てきた

2018.06.15 Friday


 

 

 

 

 

 

 


IRON MAIDENを辞めた後ブルース・デッキンソンが、紛争状態にあったサラエボに向かった当時を振り返るドキュメント『サラエボの叫び』を見てきました。※ネタバレはほぼないと思うけど、見る前に知りたくない人は読まない方がいいかも。

 

 

とにかく見終わって言葉がなかった。と同時に格言、名言だらけの映画だったので、メンバーやブルースの言葉を全部メモしたいくらいでした。それは窮地に立った人間だけが話せる偽りのない言葉だと思うけど、とにかく見終わって「はぁ」とまずため息をついた。

ボスニア紛争やサラエボのことは教科書で知る感覚。悲惨さは分かっていても肌で感じることは(でき)なかった。でもなにしろミーハーだけどブルースのファンだから見なきゃってなチープな動機で映画館に行ったのだ。

 


決してメジャーな映画ではないし編集も完璧じゃなくて最初のサラエボの状況の説明シーンは不謹慎だと思うけど映画的には少し間延びする。ミュージシャンが主役だけどこれはロックの映画じゃない。でもブルース達がどんどん現地に近づいて行くにつれ、人間の行動力やロックのパワーを感じて圧倒される。

 

 

 

 

このサラエボ公演は、(おそらく)情報の少ない時代に「国連」とか「ちゃんと守る」という言葉を頼りに「行ってみよう」くらいで決まったんじゃないかと思う。でも実際に戦地に行くと状況は全く異なる。サラエボに乗り込む手段もなく「無謀」と言われ「引き返すか行くか決断しろ」とまで言われる。結果バンドは行くことを選ぶけど、乗る予定のヘリコプターが理由を教えてもらえないまま用意されず(おそらく撃墜されたらしく...)、やむなくトラックの荷台に乗って現地に向かう。真冬のサラエボを8時間もかけて。

 


映画の中でメンバーがブルースに「トラックの荷台に乗るなんていつ以来だい?」と聞くとブルースは「1980年のサムソンのライヴ以来かな」と答える。1994年まであのIRON MAIDENのフロントマンだったのに。この発言を聞いた瞬間ブルースの人生が垣間見えてグッときた。そしてIRON MAIDENという大きなブランドの中にいたにも関わらず、トラックの荷台に乗って移動する姿に素のブルースが見えてこの時もう私は感動していたかも…。なぜなら彼(ら)は、おごりも見栄も通用しない一公演のために命がけの道を選んでいたから。

 


コンサートは闇夜に一台のスポット・ライトだけを使用して行われた。「あの時だけは戦争を忘れられた」という言葉や「他の国だったらこんなコンサートがいつでも観れるのに」というファンの言葉を前に、楽しむだけが目的の自分たち(それでいいんだけど)に言える言葉なんてない。今までたくさん見ることができたIRON MAIDENのコンサートをあんな経験をしたブルースが私たちの前で歌ってたんだなと思うと、サラエボ(のファン)と自分たちが少しだけ繋がった気もしたし、平和のありがたみも感じた。

 


メンバーの一人が「今も街がクリスマスで華やかになっても、あの時の12月が頭から消えない」とPTSDのような言葉を発していたのが、生きて帰ってはきたけれど、当事者たちにしかわからない、映像には写っていない恐怖や寒さやいろんなものがあるんだろうと察することができた。映画は発言や少ない映像からも普通ではない事をやったバンドの姿を描いていた。

 

 

見終わってブルースのミーハーだけど、益々ブルースが好きになったし興味が湧いた。ミュージシャンとしてステージに立ち、飛行機を操縦するパイロットの魅力に加え、人間ブルースのことも知りたい。ロックの映画ではないけど是非チェックしてみてください。自伝もすごく楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     ヒプノシスに「失敗作」はあるのかな?

2018.04.17 Tuesday

 

 

 


最近、2冊のART関連本に癒されている。

 

 

 


その1冊が『ヒプノシス全作品集』今更説明もいらないと思うけど、と書きつつも10代のロック・ファンも読んでくれたりしているので、やっぱり説明しとこうかな。70年代や80年代にロックのLPのジャケットを作っていたデザイナー集団の名前。ヒプノシス。

 

 

彼らが作ったLPは、聴いたことなくても印象に残るものや見たことがあるものがたくさんあるはず。昔グラフィック・デザイナーをやっていたので、彼の仕事には魅了されまくっていた。とはいったってどうあがいても写真、バランス、色、インパクト、その完成度の高さは追いつけるはずもなく毎日眺めてその世界にのめり込んでいただけだけど。

 

 

例えばモントローズ。ヒプノシスじゃなかったらきっと微妙。でもこのバランス凄いよね。

 

 

 

で。作品集を眺めすぎて無性に「失敗作」を見てみたくなってしまっている。

 

 

ヒプノシスの仕事に「あれは失敗」みたいなことってあるんだろうか? って。もし仮に失敗があったとしたって、こっちから見れば「それ失敗じゃないじゃん」だよね〜。割れたお煎餅のお買い得品袋みたいに失敗を集めた『裏ヒプノシス』本なんて出ないかな。

 

 

 

 

 

もう1冊はこれ。総合失調症の前衛芸術家、アールブリュットの(すずき)まりえさんが作ったてん・てん・アート(と勝手に命名)。サインペンでてん、てん、てん、てん、てん・・・・・・と打ち続けて完成させる絵はエロとはさみがメインの素材。「根気さえあれば誰でもできる?」と思われそうだが、作品を見るとひれ伏す想像力の世界が存在する。

 

 

 

 

この2冊、どのページをめくってもぜんぜん隙がない。彼女の作品にもしも失敗があってもそれを修正して表現しそう。とアーティストに失敗を求めるなんて失礼だけど、そんな発想すらしちゃうほど、完成されすぎているってこと。

 

 

 


PS. 失敗といえば…”me too”。残念なカメラマン、アラーキーの写真集は彼の古くて残念な概念と一緒に捨てました。被写体との関係って一方通行じゃない。その努力をしないで高圧的でいられたカメラマンの時代は終わってる。ま、まだいるけどね〜(笑) 

 

 

さて、写真処理を再開。

 

不健康な生活に逆戻り中。。。はぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 



            

  『オールシングス・マスト・パス』から『パリ行き』まで

2018.03.19 Monday


 

 

 

 

 

 

撮影ではなく取材する仕事もやっています。依頼してもらえるインタビューアの仕事はやりがいはあるけど1つだけどうしても嫌なことがある。それは取材後のテープ起こし。もう自分の声が大嫌い。

 

 

テープおこしそのものはむしろ好き。でも自分の声は聞けば聞く程へこむ。やりとりの流れの中で余計な質問をしている声(自分の)を聞くとさらに落ち込む。「そんな質問してないで、もっと大事なこと聞けよ」とあとから思うのだ。「そこで相づち打ってる場合か? こんな機会滅多にないのに」…と呆れてマジへこむ。

 


で、今日は5回もへこんだのでブログでちょっと休憩させてください。

 


NETFLIXを手に入れてから待機の時間や寝る前にドラマや映画を見ている。映画館で見るべき作品や話題作は、近所のシネコンへ行くけど自宅シアターもいい。眠くなったら続きは明日。最近見たのは映画館で『15時17分、パリ行き』、先日亡くなったタワレコの創始者ラッセル・ソロモン氏とタワーレコードの歴史を描いた傑作ドキュメント『オール・シングス・マスト・パス』や『帰って来たヒトラー』についても書こうと思う。

 

 


『15時17分、パリ行き』
マストで見る映画の1つがクリント・イーストウッド監督の作品。パリ行きの列車がテロに巻き込まれる実話がベース。でも描かれてるのはごく普通のアメリカ人の人生。イーストウッド作品はアメリカのダークサイドが見え隠れしているように思う。これダークサイドじゃなくて日常かも。主演の3人は、実際のテロ事件に巻き込まれた本人を本人役として起用したそう。

 

こんな大胆な演出を御年87歳のイーストウッド監督が試みたということが凄い。自分も明日から心身鍛え直さねばとさえ思ったくらい。彼の監督作品を見るとついジョニーを思い出す。ちょっと右よりの匂いも感じて。私だけかな。そこも含めのアメリカの真実を突きつけてくるから見逃せないのかも。結末は奇麗ごとだけじゃないように見えた。

 

 

 

 

 

『オールシングス・マスト・パス』
ビートルズではジョージが好きでした。唯一日本だけはまだ存在するけどタワーレコードの誕生から終演を描いたドキュメント。この映画、最初は2016年の秋にラモーンズ・ファンを連れて聖地巡礼ツアーに行った行きの機内で見た。アメリカに向かう飛行機で見たから感傷的な気分になったのかもしれない。東京にタワレコはまだあるし、メジャーなただのレコード屋の1つだと思ってた。でも一軒ずつ店が消えて行くシーンを見ると、世界中(特にアメリカ)のどの街にも同じコンセプトで存在するお店の存在は、安心な居場所だった。

 

アメリカのちょっと危険そうな場所にある店からLAやNYの路面店まで、店内に入ればどこも私の知ってるタワー・レコード。いろんな人種がいたけどみんな音楽ファンで、ボーダーは無いと思えたから。そんなタワーの最盛期から衰退期までの歴史が描かれている。働いていたアメリカ人のスタッフが苦虫を噛身つぶしたような表情で「もう時代には逆らえなかった」と語るシーンが忘れられない。華やかな時代を自分も知っているからだ。買った新譜を「早く聴きたい」とタワーから持ち帰ったことのある人ならみんな共感できる映画だと思う。

 

 

 

 


『帰って来たヒトラー』
どうせ馬鹿げたコメディだと思って見たら深すぎた。ひょんなことからヒトラーが現代に蘇ってしまう。「ここはどこだ?」とタイムトラベルで現代に登場したヒトラーはパソコンを見て驚愕したりといちいち面白いんだけど、当時と変わらない思想で人々の前で熱弁を振るう。最初はタチの悪いコメディアン扱いをしていた群衆が、1930年代の思想にじわじわと心を掴まれていく。彼の説法は現代でも十分通用したからだ…。コメディ映画として扱われているけれど最後は唸って終わります。これをドイツ人が作っているのも凄い。

 

 

 

 

バック・トゥ・ワーク。最後のテープ起こしに取りかかりまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     25日の『Power Rock Today』聴いてくれてありがとう

2017.11.27 Monday

 

 

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週末は『メタル現場主義』でも被写体になっていただいた伊藤政則さんのラジオ番組『Power Rcok Today』にゲストとして出演させてもらいました〜。放送を聴いてくれたみなさま、本当にありがとうございました。「相変わらず声でかい」と言われ、本の対談の続きのような暴走トーク(私)だったけどめちゃめちゃ楽しかった ! !  伊藤さんからは、ヒプノシスをオマージュして撮った写真の感想はメールで聞いていた。でも本の感想を聞くのは、昨日が初めてでワクワクドキドキしてました。

 


でも。。。

 


先に書いてしまうけど、トークが終わった瞬間の感想は「唸る」でした。伊藤さんの話術に。そんなの失礼だろ、当たり前だろ、と言われるのはわかっているがやはり書きたい。本の取材の時もそう思ったけれど、相手を立て、言葉をひきだす話術にシビれた。『メタル現場主義』の中身を的確にピックアップし、私自身と本の内容をリスナーが理解できるように「立体化」してくれる。そんなマジックみたいなトークが目の前で繰り広げられるていく。

 


そして初めて聞く本の評価「アツい本」「面白い」は素直に嬉しかったです。100点の答案用紙を受け取った生徒の気分で「やったぁ」と両手をあげてました、ブースの中で(笑)。ヘヴィ・メタルの世界の第一人者の口からそんな言葉を聞けるなんて、がむしゃらに書いてる時には考えてもいなかったから。私が伝える手段は写真。だけど活字も加えたらカメラマンに見えてたものをさらに伝えることが出来たのかなぁ。

 


伊藤政則さんは、被写体としてもそうだったけど、取材現場を誰よりも知っているし見ている。そしてそんな現場を楽しんでしまうところもロックだなと思いました。ミュージシャンよりも被写体として主張があるというか。撮影って撮り終わった時、(この人また撮りたい)と思う・思わないがあるけれど、また撮ってみたい。それはクリエイティブな匂いがして面白い画が出来上がりそうな予感がするから。

 


そんなわけでトーク後の記念撮影。本の中でSTEELHEARTのミレンコが最初に「ハグした方がコミュニケーションはうまくいく」と言ってたけど、被写体との距離感同様、トーク後にも距離感は変わる。伊藤さんも最初に「いつもの感じでいいからな」とか「ここっていうポイントは何度話してもいい」とアドバイスをくれた。もう先が見えているのだ。相手あっての仕事をしている私も見習わなければ。なぜなら、もし撮影がトークのあとだったら、表情は間違いなく良くなっているはずだから。コミュニケーションのプロセスは同じということ。

 

 

 

 

それにしても、80年代の編集部時代、自分は当時の『ROCK TODAY』のページ担当で毎週収録現場にくっついて行っていた。プレゼントで当選した人のハガキやプレゼント受け取って発送したり、オンエアーされた曲を書いてまとめ、毎号広告ページを作る担当だったから。もっとも自分の仕事はお菓子食べながら、収録現場で番組を楽しく聴けて幸せと思ってただけの呑気なラジオ好きだったけど。あれから30年経っても伊藤さんはまだ喋って発信している。本当に凄いことだ。そしてツバキハウスで遊んでいただけだし、どんな表現が的確かわからないれど卒業生(自分)で良かった。いろんな意味で楽しくて奥が深い土曜の夜でした。

 


私も頑張ろう。私の双子(2冊の本)のプロモーションはまだまだ続きます。たくさんの人に読んでもらえるように頑張ります。引き続きよろしくお願いします。伊藤さんの番組『Power RoCk Today』はRadikoのタイムフリーで今週中はまだ聴けます。良かったらぜひ聴いてみてね。しっとり大人な雰囲気で話す柴田さん(Anthem)の次の26時26分頃に、でかい声で登場です。。。あぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

    やっとブログ書けた! 2本のトークショー終了しました!

2017.11.20 Monday

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 

 

11月10日の新宿ネイキッドロフトで『メタル現場主義』そして翌11日のジュンク堂池袋店芸術フロア=レンガの壁フロアでのトークショーで『ThankyouRAMONES』のトークショーでした。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました ! ! !   を、とっとと書けよって話です。すみません。m(_ _)m  いや、今回ばかりはブログを書く余裕…全くなかったです。先に書かなければいけない原稿もあり、(実はあと1本韓流コラムもあるが締め切りは明後日)、撮影もひと段落したので、書いていきます。

CJラモーンの日本公演で彼と話したいろんなことも。

 

 

まずは『メタル現場主義』のトークショーのことから♡

 


この日は来てくれたお客さんが暖かかったぁ…皆様、ありがとうございました。旧友・増田勇一君の司会進行が秀逸でさすが ! ! で、私の言葉をぐいぐい引き出してくれました。「トークショー?  いいよ〜」と二つ返事で引き受けてくれるのも旧友「増田君」ならでは。しかも3時間の長丁場。ありがとう〜。

 

 


ゲストで飛び入りしてくれたマーティは、最初「22時じゃ間に合わないかも〜」と別の現場にいたはずなのに、(おそらく? )予定を入れ替えて参加してくれたのです。もう2年近く撮影しているドキュメンタリー映画のクルーも一緒だったので、みんなあの映画に写ってたら記念が増えるね〜(笑)

カットしないでね〜って言っておこう。

 

 

マーティのトークは(テレビ用じゃなく)普段のまますぎてそれもまた彼らしく良かった。だってトークの壇上にいるのに私が以前貸したRAVENのファンジンを「あれ返したっけ?」と普通に喋っちゃってたもん。でもあの距離感が彼らしさ。『メタル現場主義』に書いた素で普通にロックの話ができる相手のままが見れたのでは? 取りかこむ環境が変わっても彼は変わらない。最高ね。本を持ってくれている写真はお願いしたのではなく宣伝に使ってと送ってきてくれたんです。いい人だね。

 

 

 


来れなかった方のために写真の裏話を少し書きます。もう手にとってくれている方も多いけど、1ページ目のご挨拶の写真はレミーでした。あのポーズを「やって」と頼んだんだわけだけど、改めて撮影した写真を全カットを確認してみたら、あのポーズはなんと1枚だけ。次のカットは持っていたタバコをふかしている画だった。そうゆう人だよな、レミーって、と思ったね。あんなポーズ、彼は本当はサービスじゃなきゃやらない人ってこと。それでもレミーのあのポーズは2、3枚はあると思ってました。

本を書き終えた時に、「よくあれだけのこと覚えてるね?」といろんな人に言われたけど、写真を見ると思い出せる。さらに前後のカットを見ると現場を残しているので、その時の空気も思い出す。「この時は、撮られるの嫌いでひとりダルそうにしていたやついたな」とかね。

 


トークショーが終わってからFacebookやコメントなどたくさん受け取ったけど、それを読んでも来ていた人たちが暖かく尚且つ大人でした。その中に「よくライヴ会場でお見かけする人だなと思っていたけど、声はかけられなかった」や「僕は80年代を知らず畔柳さんのことを知らなかった」というものあった。それらを読んで、あ、声はかけてくれてぜんぜん大丈夫ですから〜、怖い顔して撮ってるかもだけどって書いとこう(笑) 「私のことを知らなかった」というコメントには、それはあえてそうしていたからです。このことは初めて書くけど、私は編集部を辞めてNYに行って帰国して東京の撮影スタジオに入社した。けどその時の面接官が「バーン!」の読者だった。だから…もしかしたら私はスタジオを合格できたのかもと思ったっていう話。

 


スタジオ業務は相当過酷。朝から深夜まで続く労働。だからスタジオマンの募集年齢は18歳から25歳までが平均的。当時の私の年齢は29歳。それでも合格できちゃった。面接官に「元バーン!」のスタッフだったことがバレた時、「10歳も下の子たちとコミュニケーションはとれますか? 年下に命令されても働けますか?」と聞かれ「はい。できます」と答えただけで私は合格になった。それはありがたいことだし、自分のキャリアは事実だからいいと思うけど…「元バーン!」じゃなくても合格してたのか?  とは思った。

 

 

だって「元バーン!」の私は、年齢オーバーな上に、まだ撮影のノウハウもつかめないアメリカ帰りの初心者。そして自分の写真の個性も完成していないただのアシスタントでしろーと。それでも「元バーン!」という言葉を使えば私は動きやすくなるんだなというのを知ったけど、それじゃまずい。ハングリー精神で向かっていかなきゃフリーランスとしてあぐらをかいてのスタートになってしまう。そして、そのうちつまずくだろうってこともこの時にわかった。最もアメリカでひとりだったから、肩書きは必要なかった。だから敢えて聞かれない限り「元バーン!」は封印し、スタジオの10代と同じ気持ちでカメラマン一年生になりすましてた。編集者からカメラマンにキャリアアップなんてかっこいい言葉だけど、実がともなってなきゃかっこ悪いだけだしね。

 


今のカメラマンはもっと自分をセルフ・プロデュースするのがイイみたいなご時世だけど、29歳の時の自分は「元バーン!」を封印して、見た人が「この写真かっこいい」って気がついてくれればで勝負したかったっていうのがあったかな。そして、その頃(1992年頃)、ジョニー・ラモーンから「オマエはやれるからファンクラブを運営してみろ」指令が出て、(やってみるか…)と、ぐいぐいそっちに傾倒し、ラモーンズ・ファン・クラブをやっているカメラマンになっていったんです。

 

⬆︎⬆︎⬆︎

 

話をトークショーに戻します。FACEBOOKに「車に乗らないよ〜」と写真を載せた島忠で買った黒いボードは、当日限定の写真やコピーを貼り付けて展示しました。例えばラーズの別カット。あと手書きでレミーの自宅の地図まで勝手に書いた。それから当時どうやって雑誌ができていたのか(って活字にするとなんか社会科見学みたい・笑)とか、紙で印刷する時代だったので、版下という紙に文字やバンドのロゴを手書きで作っていった話などもボードに書いたり、喋ったりしました。あと、NY資金を貯めるためにお弁当を作って行って大野奈緒美ちゃんに売っていたという話もバレた(爆) 何が恐ろしいって増田くんの記憶力。すごすぎる。あの程度で良かった〜(汗)

 


あとイケメン・ベスト10の1位に男性からのクレームが多いですね〜(笑) 女性からくると思ってたら、ぜんぜん来ないので意外と母性本能をくすぐる何かをもっているのかも!?  それか話題にするまでもなく論外? (笑) ま、いいや。人それぞれ、好みってあるし〜。

 

 

 

写真でグラビアにしたバンドのエピソードも書いてないけどあります。ロニー・ジェームス・ディオは気遣いのできる人だし、撮影にもすごく協力的でメロイックサインも「先にやるかい?」なんてやってくれるんだよね。自分は背が小さいから「待て待て、俺が前に立つ」と笑いながら前に立って若いバンドのメンバーに指示を出す。若いバンドやアメリカのパンク・バンドからも慕われる理由は会えばわかる。と、いうのも文章では書けてなかったりと、書いても没になったりとか、いろいろあります。フィルムの劣化や編集の問題で二転三転して、本当にグラビアの写真も印刷ぎりぎりで差し替えたりとかね。ジョーン・ジェットの金髪写真だって本当はカラーで見せたかったけど、しょうがない。とか。

 


でも形に出来た。楽しんでもらえれば幸いです。2冊の本は大事な双子の子供みたいという表現をしているんだけど、55歳のひとつの区切りになった。みなさまのおかげです。プロモーションまだまだ頑張りつつ、ラジオの出演もあれこれいただいているので、自分の本(双子)、大事にしなきゃな。

 

 

そういえばネイキッド・ロフトを(撮影)現場にしたかったので、カメラのライト(傘)も立ててみました。本当はあれテーブルに置いておいたカメラのシャッターを切るとパシャってライトが光るようにセッティングしたのに喋るのに夢中でシャッター切り忘れました(カメラマンなのに…笑) そしてカメラマンなのに写真はみんなにもらったものをパクりました。すみません。

 

 

 


引き続き、プログはレンガの壁の前で仰天エピソード登場の『ThankyouRAMONES』のトークショーのことを書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 



            
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