10代、20代がイイネ

2018.02.05 Monday

 

 

 

 


週末は10代のアイドルを撮影。これは昔の写真だけどご覧の通りロック風(と指示されてます)。彼女たちは小学生と中学生だけど、ライヴも撮影スタジオも衣装をスーツケースに積めて一人で集合場所に来る。遅い時間はご両親がお迎えに来るけれど、10代、20代って子供だと思ってちゃいけないのよ。ルックスは子供だけど、勝負かけてる子たちの情熱や集中力、頑張り、がむしゃらに前に進むことだけ考えていられる世代だからとも言えるけど、時々ハッとする。

 


自分だって本当は、前に進むことだけ考えていればいいしそれはやれる。だけど「体力がついてこない」だの「あちこちガタが来ている」だの、となんだかんだ理由があってそれを押し通そうとしているな〜。ヤバいな〜。実際、30代の時のような瞬発力も落ちているし筋力キープするのに必死。疲労時からの復帰も遅いから食事にも気をつけて週末に泳いで体力つけなきゃ、まったく間に合わないもんね〜〜。w

 


でも肉体的な部分は置いといて、卓球女子の石川佳純、平野美宇、伊藤美誠や将棋 藤井聡太、北海道からLA-Angelsでプレイする大谷翔平選手やスケートの羽生結弦選手など、10代や20代を見ていると精神力が逞しくて、タフで勝負に負けても這い上がるエネルギーが気持ちいい。卓球も将棋も自分には縁がなくゲームをちゃんと見てたこなかったけど、ニュースを見るようになってから「集中力」や「勝負強さ」にぐいぐい引き込まれてます。悔しさをバネにしていくエネルギーの変換の仕方も早いし興味深いし。そして、そのことは「疲れが取れないんだよぉぉ」と苗場で雨にうたれて20kg近い機材を持って3日間過ごしたあとにサウナでだらだらしている自分が当たり前になり「55歳だも〜ん」という言いわけを正当化できるようになった今(汗)... 彼らを見たあとに、自分(多分まだ残っていると思いたい)、怖いものなしのメンタルにまで蓋をしようとしてるかもなと、思った。

 

 

 


ま。つってもね〜、3日間豪雨の現場や50度で熱射病に2度もかかった千葉マリンの現場を、60歳になってもやってたら、もう肺炎になるか救急車だ運ばれるんじゃないかって思う(怖…) 。でも、彼女・彼らのキラキラした強い瞳の中にあるメンタルを見ていると、自分もメンタルの方はまだまだジタバタしたいね〜。星飛雄馬のメラメラ燃える瞳の炎みたいなのをとり戻したいと思うわ〜。でも無理はしません出来ません(笑)。ひじきともずくを食べ続けないと追いつかないからなぁ。自分の瞳の中はもしかすると今ボヤ程度かも? なのでメラメラしときたいな、と。年相応に責めて行きたいです (笑)

 

 

 

 

というわけで、いきなり関係ないけど、10代、20代、30代、40代、50代(は私)、60代のファンで集まって、ラモーンズ・ファンの座談会をやってみたいなと考えている。これは成立しそうな気がしているんだけどどうかね?  それぞれの『ラモーンズの激情』への思いを語るっていうの。これは先週HPにアップした1990年代に作っていた会報の回顧記事を作りながらひらめきました。将棋だって10代と70代が戦えるんだから、語るのもありじゃないかなと。近日中に募集かけてみます。チャットでもできるかな? 振り返り記事はコチラ。チェックしてみてください。

 

 

ファーストは裏もこだわり満載。語りたい。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     日記

2018.01.31 Wednesday


 

 

 

 

 

そんなわけで…買った。

 

 

『毎日4行書く5年日記』

 

 

早速。最初は丸善に行ったけど種類が少なかったので、東急ハンズへ。5年も使うんだからAmazonでポチッとってのは嫌だったので手に取ってから。万年筆と合うかなと思って桜色のやつにしてみた。

 


で……

 


買ったその日にもう書き忘れてへこむ。。。知ってか知らずか、旦那が「2月1日からスタートすれば?」と都合のいいことを言ったので「おお、そうだ、そうだ」と正当化させ、明日から書くことにしました。しれ〜っと。続くのだろうか?

 


さっき「前夜祭」というタイトルで書いてみたら楽しくて、4行じゃ足りないんじゃないかという気になってきた。限られたスペースに言葉をまとめるのもレビューじゃないけど、ちょっとした文章をまとめる練習にはなるか、と思ってやってみようと思う。

 


昨日、友だちと3人で、韓国中華の海鮮チャンポンとサクサク酢豚を久しぶりに食べに行き(相変わらず美味♡)、夜までおしゃべり。こうゆう時間を至福の時間と呼ぶ。その時に私が「日記を書こうと思うけど、ネガティブなことや悪いことも書くべきだと思う?」と聞くと、ふたりとも「思う」と言い「1年後には笑えてると思う」というのを聞いてなるほどなとは思った。でも忘れていた嫌なことを1年後に思い出すのはアン・ハッピーなんじゃないかとも思ってて、そのあたりはコントロールしながらでも嘘の無いように書いてみようとは思ってるんだけど。

 

 

 

 

 

それでいいアイデアがひらめきハンコも買ってみた。ムカつくから読まない方が良さそうなネタの時は、このムンクの叫びをその日の日付の横に押しておき、1年後に開いた時にムンクがいたら読まないことにするっていう。絶対読みそうだけど(笑) ムンクのとこばっか探して!?

 

 

 

 

 

ま。どっちにしても、毎日書けよ自分っていう...とにかく、やろうと決めたことをやっている。私の友だちのみなさま、時々聞いてやってください。「日記つけてる?」って。三日坊主になりませんように…。 ビビッているので、本日宣言ブログですみません。

 

 

 

 

PS. 実はデザートも食べました、大久保のイケメン・カフェで(笑) お兄さんがキラッキラすぎてちょっと怖かった。でも10代だったらやばいかもな〜? 商売うまいなぁ〜w

 

3人でシェアしたんです、本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     島忠・中野店の「匠」

2017.12.27 Wednesday

 

 

 


 

 

 


この話は年内に書いておきたかったので書く。

 

 


カメラバッグの持つ部分が壊れてしまった。旅行のスーツケースみたいにひっぱる棒を出し入れするんだけど、ネジが一個取れたらしく、下にさがらなくなってしまったのだ。どんな時も取っ手が上にあがりっぱなし。車に積む時もひっこんでくれないから場所を取る。でもバッグ本体はまだしっかりしているし軽量なので、捨てるにはしのびない。ので、島忠というホームセンターにネジを買いに行った。

 


そこにはネジ穴のサイズ表? があり、、、

 

 

 

おかげで穴のサイズはわかったけれど、どうしたらいいかわからない。自分で棒の部分を勝手に解体して、元に戻せなくなったら慌てるので、一応詳しそうな店員を探して聞くことにした。1人目のおじさんはじーーーーっと見て言った。「これ日本製じゃないでしょ? このネジは日本の少し盛り上がっているタイプだと入らない可能性があるんだよなぁ」と。あたりです。アメリカ製のカメラバッグです。

 

 

そして「俺が解体してもいいんだけど、元に戻らなくなったら困るものね?」と言いながら上げ下げの仕組みを外から覗き混んで探っている。かれこれ15分も。私が「わからないでしょ?  もう大丈夫。適当なネジ買ってやってみるから」と言うと「いや、ちょっと待って。さくらいさ〜〜ん」と別のおじさんを呼んだ。今度はふたりがかりで、このアメリカ製のカメラバッグの仕組みを外から見たり触ったりして調べまくる。もうなんというか、この様子は内科の医者状態。押したり、触ったり、覗きこんだり。そのうちにネジの穴に針金を突っ込んだ。もはや胃カメラを操作しているみたいだった。この2人は一体何者? 凄い集中力で取りかかってくれていた。

 

 

 


カメラバッグにとりつかれたかのように、触診すること20分。さくらいさんが言った。

 

 

「解体してみましょう」手術開始である。ひゃぁああ。私のカメラバック〜〜〜。汗。

 

 

でも。どうせ自分じゃ直せないからいいやと思って見ていた。2人はゆっくりと取っ手の棒のネジを全部外して棒を取り出し解体した。そこにはポリープが…じゃなくてネジ穴が3つあるのに、2つのネジが無くなっていた。さくらいさんが「なるほど…。日本のネジじゃ合わないけど、こっちの小さいので塞いで、この部分は小さめのネジで応用しましょう」と言った。ここからはもう外科医のレベルであった。オペして開腹してみたら別のポリープも発見したぞみたいな感じで、すぐに次の手をうつ。唸る。

 

 

 

私はあっけにとられてしまい(よい意味で)、2人のオペを見守った。アメリカのネジは違うらしいんだけど、何か案があるらしい。ネジとあれこれ奮闘してくれて40分が経過。日本製のネジ2つを使い、穴の部分を塞いで手術は完了した。取っ手の棒を落とし込み、持ちあげて、また下げてみると、元に戻った。ちゃんと下った。直った。感動。。。。。。。。さくらいさんは「これで当面は大丈夫だと思いますよ。じゃあネジだけ購入してもらっていいですか? 125円です」

 

 

 


これだけの話なんですが、125円のネジ売る(利益)のために、私のカメラバックを40分かけて直してくれた。それだけ。いや、それだけじゃないから書いている。感動しちゃって。日本て、この国って、こんなネジ1個にこだわるおじさんが土台を作ってくれていたよね〜、高度成長期に。と思った。さくらいさんといいじまさん、ありがとうございました。島忠・中野本店の工具売り場には「匠」がいた。

 

 

それで125円のネジとカメラバック持ってレジに並んだら、さっきのさくらいさんが今度はレジ打ちをしていたことも、何だか良かった。あとで調べたらさくらいさんは店長だった。ネジ一個のために自然に対応し、レジもうつさくらいさん、かっこいい。島忠・中野本店の駐車場から見る中野サンプラザと新宿の夜景がこの日は特にすがすがしく見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     今年の漢字は「本」

2017.12.27 Wednesday

 

 

 

 

 


今年の漢字はこれに尽きる。

 


『Thank you RAMONES』と『メタル現場主義』のおかげで今年の後半は、たくさんの新しい人と出会えた。2冊書きおろしたのはスーパー・ハードな日々だったけど、ビジョンが形になっていくのはスリリングでワクワクしたし発信するのは楽しい。書評を掲載していただいたり、書店で応援してもらったり、普段と違うアクティブでクリエイティブな人たちとの関わりも刺激的でした。トークショー、書店の壁、取材、ラジオ、読者やバンドのファンのみなさん。ありがとうございます。『メタル現場主義』は、当時の本作りをROLLING STONE誌から取材されるという波紋まで呼んで( ? ! )びっくりした。古巣の編集部には感謝。

 


毎日ゆで太郎のおそばばかり食べ(好きだけど・笑)、すぐ仕事。今、振り返ると信じられない毎日を送ってたけど、作るプロセスこそ快感なの。で。本のからくり? を少し書こうかな。

 


まず『Thank you RAMONES』
ファン・クラブ会員用のカバーは実はオリジナル。白ではなく、裏にはジョニーラモーンからの手紙が印刷されている。こんなことリトルモア出版じゃなきゃやってくれないよ〜。ジョニーからの手紙にはキーワードとなる言葉が2つ書いてあって、それは読み手に繋がる言葉だったから載せました。この手紙、箱の中から「どれどれ…」と最初に手に取った1通目でした。それでぴたっとはまった。それを載せろといわれてるんじゃなかろうかというくらいキーワードがある手紙だった。今週末には墓参りできているはずだから手を合わせてこよう。いい手紙だと思う。手紙を書かなきゃ始まらなかったしね。

 

 


後半につけた1995年の会報のダイジェストは、ラスト・ツアーのレポートをまとめたものと「裏話100本勝負」を抜粋して掲載。あれを読めば当時の様子とメンバーのキャラが手にとるようにわかるから。そこまで深く読んでくれてるファンがいるのかどうかわからないけど、私が死んでも書いとけば残るからね。ラモーンズの軌跡をこれでもか!!と書く(笑)

 

 

 

 

そして『メタル現場主義』。こっちは溜め込んできたストーリーだらけだったので、全部新鮮に受け止めてもらえたみたいで良かったです。デザインを離れてしまったので、デザイナーにお任せしたけれど、20代の勢いで書籍のデザインもやってたら、もっと80年代風の派手な書籍になったんだろうな、と昨日届いたローリング・ストーン誌の誌面(下写真)を見ながら思った。【書く x 撮る x デザインする】の合体で図画工作( ? )作業は、本当に楽しい。もし予算と時間があったらオールカラーで、イケメンのページはグラビアにしたかった。できれば撮り下ろしもひとりかふたりやりたかったな〜←イケメンのグラビアで。裏話しは、カラーの見開きのスレイヤーのページは冒険。トムアラヤが隅っこの方にいる写真だから。でもあれはあれで彼やバンドの威厳が表現できたと思ってます。他のバンドのために1ページを使わない我慢というか…

 

 

 

と、いろいろあるが、作ることこは快感だと改めて思えた。「本」の字は来年に続けて…本+「気」で本気を出してやらにゃいけないことがあれこれと。プライオリティの1つは先生不在の今、DIYでハングル検定の4級を合格すること。もう1つは1時間ちゃんと泳ぐ。体力落ちまくっててやばいから。来年はもっとブログをコンスタントに書き、オン・オフのメリハリをしっかりつけてもっとしょっちゅう走り(運転)たいな、と。

 

 

明日もブログ書こう〜と思っているけど、一応、今年もお世話になりましたの挨拶。お世話になった皆さま、本を読んでくれた皆様、本当に感謝です〜。m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 



            

        三島クン

2017.12.07 Thursday


 

 


昨日、カメラマンの三島クンとお別れをしてきました。そのことについて、ブログに書くなんて失礼かとも思うけど、書きたい気持ちがあるから、正直に書こうと思う。

 

 

三島クンと私は特に親しい友だちでもでもなかった。お互い写真の本を出していて編集者が浅原さんだったから一度飲んだことはあるんだけど、現場では三島クンに限らず、私はあんまりカメラマンとはつるまない。和気あいあいと仕事するのが好きじゃない。でも写真を見るのは好き。写真でつながる人とは繋がる。そんなある種「ひねくれ」なので、距離でいったら近くなかった。それなのに、食道癌との戦いが終わってしまった三島クンとのお別れはどうしてもしたかったし、無念の思いが湧き上がった。それは。一番キツイ現場と時間を共有していたからだったのかなと思った。

 

 

私と三島クンは、夏フェスで千葉のマリンスタジアム担当だった。私たちは雑誌の取材で撮影を任されていたけれど、カメラマンの居場所は屋外のアリーナに入るゲートの下だった。エアコンもなくカメラを置く場所も埃まみれ。日陰でもずっとそこにいるとみるみる体温が上がっていく猛暑の中で仕事をしていた。ふたりだけ。私はいつも2リットルのペット・ボトルを2本持って行ってたけれど、三島クンはいつも500mlのペット・ボトルを飲んでいた。「それっぽっちじゃ、熱射病になっちゃうよ?」と普段は話しかけないのに、夏は饒舌で余計なことを彼に言っていた。ひょろひょろと、どこかふわっとした風貌の彼は、水をあんまり飲まなくても普通に丈夫に見えた。ずっと何年かそんな感じで毎夏顔を合わせていた。でも今年は私ひとりだった。過酷な仕事を共有する仲間がいなくなって少し寂しかった。三島クンは入院していたのだ。

 

 

そのうちに、三島クンと親しい仲間のカメラマンが『SQUAD』という雑誌を発表した。写真を紙で表現し残した。素晴らしいアクションだなぁと素直に思ったけど、それが発表された時、その雑誌は三島クンの治療費をサポートする援助のための写真集になっていた。本当はもっといろんな表現をみんなこの雑誌で爆発させることが目的だったんだと思う。その発刊記念の写真展を見に行き、私はTシャツをこっそりと購入した。そうしたらカメラマンのテッペイ君に「なんでTシャツ買ったこと、本人に知らせたらだめなんですか?  心配してたことも本人に言ってほしい」と言われ、最初はためらったけどメールした。ついこの間のこと。

 

 

三島クンから返事がきた。「今年も(夏フェス)厳しかったんでしょ?  現場に早く戻りたいです。焦る気持ちを抑えなきゃと思ってる」と。だから「私たちは夏、だいぶ頑張ったからゆっくり休む権利があるよ。焦るのは治ってからでいいんじゃない?  今は休む時だよ」みたいな返事をした。それが最後だった。音楽を聴くのもしんどかったらしい。

 

 

お通夜に行ったら、写真がたくさん飾られていて本当に救われた。表現したいものを残して、ちゃんと見せて(写真は見せてなんぼのものだから)、そっち側からのアプローチがあったから救われた。写真が並んでなかったら、寂しそうなご両親の姿にまいってたと思う。他にも彼が撮った写真はたくさん残されていてお別れ会の会場にもおいてあった。仲間の雑誌の2号目でちゃんと世の中に出して欲しいなと思いながら見た。そこには欲も不要な理由もない純粋な表現が掲載されるはず。それを見たいと思って。だから写真が残っていて本当によかったと思った。撮っている方はあとのことなんてまったく考えていないんだけど、それでもなぜかほっとしている自分がいた。写真は撮るこっちの手を離れたら意味も理由も変わってしまうんだなと思ったけどそれでいんだなとも思った。

 

 

何を言いたいのか。私の勝手な思いだけを書きたいので書いてみた。現場に戻りたい気持ちを抑えていた三島クンには撮りたいものがまだあったはず。でもこっちでは過酷な撮影を頑張ってきたんだからもう休んでいいと思うし、音楽だけならそっちのラインナップも豪華だと思うから、思う存分撮ってください。お疲れさま。R.I.P.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     ブログの役割

2017.06.26 Monday


 

 

 

 


週末は午前中に撮影が入っていたこともあったけど、久しぶりに原稿を書く行為からは離れてみた。

 

 

アイドルちゃんは未成年だから、夜働くことができない。だから仕事のスタートは朝の7時とか8時。でも10歳や11歳の子たちが重い荷物をひとりでがらがら引きながら現場に来るとやる気を感じてこっちもがんばろって気になる。

 

 

撮影が終わってから午後はおもいっきやりたいことをした。渋谷で待ち合わせをし広いカフェで、まったりお茶をして、予約していた都内のスカッシュ・コートで汗をたくさんかいた。

 

 

 

 

シャワーを浴びて次にむかったのは、羽田空港にほど近いコンテナだらけの道。何がしたかったかというと、自分はうすうす鉄ちゃんになる予感がしていたんだけど(笑) 私は飛行機と車 (こっちは運転する方) が大好きだから飛行機の写真を撮った。

 

 

旦那と姪っ子も道連れに。羽田空港着陸にぎりぎりの場所から。もう少し近づける場所もあるみたいだけど、高度は下がってくるエリア。

 

 

 

 

 

まだ明るい夕方から行ったけど、空がブルーから紺に変化していくと、
飛行機にもライトがつきこれがまたきらきらしていてうっとり。

 

 

遠くに何機も同時に見えてくると、なんとなく宇宙船が飛来か? みたいに見えて萌え〜♡ まっ暗になるまで撮りまくって、そのまま車で5分のお台場までいって夜ごはんして帰宅。という個人のただの週末を書いてみたけれど、平凡な1日をちゃんと過ごさなきゃって、小林麻央さんのニュース見てまた思ったわけ。生きていて動けるんだから、仕事も遊びも楽しもうと。

 

 

 

 

小林麻央さんのブログは、実は私は全部オンタイムで読んでいた。

 

 

なぜかというと、私も昨年は病院で過ごした時期が少しあったから。私の方は命に関係ない貧血状態を改善する入院だったけど、(なのでご心配なく。スカッシュができるまでに復活してます) しばらく入院はしたので、彼女のブログは時々少しだけ風景や心情をシェアできた。例えば窓から見える景色のことを書いてる時、同じ東京だから(ああ、わかる)みたいに。そして(もう中野の家に帰りたい)っていう気持ちも。私はすぐに退院できたけど、帰宅してからも読み続けまた病室の風景を思い出したりした。まだ彼女は点滴をして頑張っているなぁと。

 


アナウンサー時代の彼女にも夫にもあの頃はまったく興味はなかったけど、病気になったことをさらけ出し、戦う姿を見せてからは、甘い声の女子アナと同じ人物ではもうなかったし、ブログにはぐいぐい引き込まれた。多分、ブログは社会とのつながりにもなったと思うし、コミュニケーションの役割もあったと思う。

 

 

同じ病気の人、病院の窓から景色を見ていなければならなかった人に、あなただけじゃないよ、という気持ちにさせてくれた。治療中の患者なのに、そこは元メディアに携わっていた人だからなのか、発信するメンタルがすごいと思った。ピリッツァー賞を受賞する戦場のジャーナリスト並みのパワーだ。終わってから彼女のブログの読者のことが少し気になってたら、すぐにメディアが「同じ病気でも人の体質によって違う」と発信していてた。メディアもたまにはグッド・ジョブ。家族でもないけれど悲しい。子供が翌朝、お母さんの足や腕をさすっていたなんてもう辛すぎる。

 

 

それで自分は運動した。私はやらせてもらえている。今できることは後回しにしないでおきたい。そしてFACEBOOKで写真のアップを続けているけれど医食同源、体は口に入れたもので作られるを実践していく。それは少しでも友だちも真似してくれたり、ヒントになってくれればいいと思ってます。ブログの力ではないけれどSNSのおせっかい。友だちが病気になるのは嬉しくないので。

 


本も来年でも書けるかもしれないけど、今書いている。その時にやるべきことはまたその時にあると思うので。
だから…やりたかった「撮り鉄」をやることにしました(笑) そしたら旦那と姪っ子も楽しかったみたいでまた行こうとしているので撮り鉄家族誕生か ! ? 今度はもっと、(飛行機の高度が)低いところで撮ってきます。

 

 

タイトル『ウルトラQ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     活字なんか信用しない

2017.06.17 Saturday


 

 

 

 

と、昔は思っていた。
のに、毎日その活字を書いている。
いや、もう書きまくっている(笑)
今年、2冊目の書籍のために。

 


正直、今年はこんなに文字ばっかり書くなんて思わなかった。
1冊目は今編集してもらっているラモーンズの書籍。そして今、書いているのは撮影秘話やエピソード本。
毎日書いているのは1000文字から4000文字のショート・コラムでこれをあと50本くらい書くけれど、お弁当のおかずを作るみたいな流れで、切ったり、焼いたりしながら書いている。文字数に関係なく表現を組み立てていくプロセスが面白くてスリリングだなぁと感じている。この行為に満足しちゃってるから、ブログは大事な時にしかかいてないんだなぁなどとまた言い訳をしているけど、ブログを書いて来たから、文章に対する免疫が少しは高まった( ? )んじゃないかと思う。まだまだお金をもらうには初心者だけど。

 


なぜ活字なんか信用しないと思っていたかというと、机上の空論が嫌いだったから。特に音楽雑誌で好きなバンドのことをあーだこーだ書かれるのがすごく嫌いだった。その音楽雑誌の編集部にいたくせにこの調子だから困ったもんだと自分で思うけど、こんな思考になったのは中2くらいに学校に行かなくなって、友だちが「心配しているから学校に来て」みたいな手紙をくれたけど、その(ありがたい)内容にリアリティを感じられず手紙の文まで嫌いになった。 親にお弁当を作ってもらっている友だち達に「心配している」って言われてもなって思って。そんなに心配してくれてるなら、私の分の弁当も作ってきてよと思ったから(笑) うちはお弁当なんて作ってくれなかったから毎日パンを買ってたし。と、またまたひねくれ放題だけど、あの時がきっかけだ。

 


だから写真も活字も写実主義。言い換えるとそれしかできないんだと思う。だから真面目に、偽りなく、どう突っ込まれても大丈夫なように書いています。読んでもらうのはバンドのファンてことになるからそこには絶対に嘘はつきたくない。書くことに対して少し生意気だけど挑戦している。これがほんの少しでも認めてもらえたらまだまだ書きたいことがある。撮りたいものもあるから、合体できたらいいと思う。

 

 

これからの10年で文章を上手に書けるようになりたい。活字を馬鹿にしてきた反省を込めてブログに書いてみた。文章は、相手がいて成立するもの。読んでもらうわけだから。コミュニケーションの手段をぶった切ってなめていたことを今さら反省している。ふんずりかえっていたら伝わらない。どうぞ宜しくお願いします。関わったメタル・バンドのこと。ポジやデータをひっくり返して書いてます。撮影中のことだからほとんどが知らないネタね。お楽しみに。さてもうひとバンド書こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     20年後の自分

2017.05.12 Friday


 

 

 

 


GWを通過したので、ひとつ歳をとりました。SNSなどにメッセージたくさんありがとうございました。私はみんなにメッセージ送れていないので、毎年言うけど申し訳ないです。ごめんね〜。(> <)

 

 

年齢なんて関係ないっていう考えだけど、FACEBOOKで自分の歳が55歳だってバラしたのは、5月5日生まれだから「5555」でゾロ目。だってラスベガスのMEGA BUCKSだったら大当たり。それになんだかラッキーだし、GO GOで、ジョニー・ラモーン的にいうと「KEEP GOING」な感じでこりゃいいやと思って。w  大昔、友達につきあって行った占いの館で占い師さんから「あなたは占うことがない」と言われ、友だちは「この人にくっついてれば運ついてくるわよ」って言われてたので、私の友だちにもこのラッキーがうつりますように〜とパワー送ってみます。w このブログを読んだ人にも天の恵みが舞い降りますように〜。w

 

 

 

 

 

 

 

でも実は今日のこのタイトルは、GW中にやっと見た『トレインスポッティング2』がすごくおもしろかった!!!  から思いついたタイトルなのだ。映画って『2』はイマイチが多いけど、私にはこの続きの20年後はすごく面白かった。すごく。『1』の時みたいなヒリヒリする若さの象徴はないけど、スコットランドのジャンキーも変わらないねぇというか、なんとも可愛い(って表現は変かな)大人(正確にはチンピラ・笑)のままの4人がそこにいた。

 

 

 

 


退屈な人生をどうセレクトしていくのか!?  この4人は20年後の今も模索していた。マイホームを持って悠々自適な年金くらしなんてクソ食らえと言いながら、ドラッグを断ちたいと思う瞬間もあるのに…という内容。友だちは、一回のドラッグで死んだのに、自分たちは生きている。

 

 

生きることの方がよっぽど人生大変だもんねぇ。『2』を見終わって、この映画、見た時の年齢で映画の感想は変わるねと話していた。自分の場合、20年で大きく環境が変わったのは、15歳から35歳の20年。1人暮らしのスタートから始まってNYで生活。帰国し結婚した新居での生活。この20年なんて15歳の自分にはとうてい予想できていない。その後は、20年はフジロックの歴史と同じ20年で何かルーティーン? いわゆる安定? (あらつまんない・・・笑) にも思える。いやもちろん親の問題とかあれこれ順風満帆じゃなかったが、それに耐えうるメンタルが年とともに出来上がったのかもしれないなぁとか。いろいろ考えられて面白かったです。映画って感動やスリルや残酷な気持ちの代替えだけじゃなく、いろいろと考えるヒントをくれるから好き♡

 


で。

 


そのことをもっと書こうと思ってたし、映画のキーワード、トイレ、ドラッグ、走る、『1』へのオマージュ、そして音楽がカッコいい!!!  ってことなどを書こうと思ったけど、3日前までインスタとかアップしていたミュージシャンの野球友だちが病気で逝ってしまって気持ちがぽわんとしていた。そしてこのタイトルは、ゾロ目で浮かれる未来を楽しみにする自分の誕生日と、映画と、年下の友だちの死が全部重なってしまい、問題提起とまではいわないけれど、なんか考えちゃった。20年後はどうなってるのかな?  って映画館を出た時はおもしろおかしく残りのポップコーン食べながら旦那と話してたのに、無いのかもしれないって思ったり。ああ、でも正直に書くと54歳を超えることは、自分の中でちょっと分岐点だった。ジョニーは55歳を経験しないまま終わったから。

 


でも。

 


生きてくことの方が大変なのだ。

 


でも。

 

 

生きてるからこそ、楽しいし、美味しいし、嬉しいこともある。なんか、真面目なこと書いてるかもしれないが 『トレインスポッティング 2』みたいに私は走りたい。走ってる方が楽しい。

 

 

 

いやまじで走らなきゃ!  GWが終わったら、毎年自分の体力を戻す時期なのです。体重はケーキの食べ過ぎで肥えたので落とさねば...運動スタート。頑張ろう自分。頑張ろうみんな。みんな体を鍛えて健康管理しましょう。それでダメならしょうがないさ。

 

 

 

さて『トレインスポッティング 1&2』みたいに、走れるうちは走りますわ。それにしても『T2』気に入りすぎて1000円の日にもう一回映画館で見たいかも。俳優たちが20年後も素晴らしい俳優だったのもこの映画の素晴らしいところだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     自分もちゃんと伝えよう「石田さんの写真」

2017.03.31 Friday

 

 

 

 


自分のFACEBOOKのフレンズには、写真家の方もたくさんいます。普段、私はあんまりカメラマンとつるまないので (=大勢限定。個人別)、その分、写真家の作品を見るようにしている。引きこもりなタイプではないけれど、「写真家は孤独な作業。みんなでファインダーを覗くわけじゃない」というボスの言葉に影響を受けていて作品が訴えてくれればコミュニケーションはとれると思っている。

 


この親子の写真はふらっとFACEBOOKを覗いていた時に出会った一枚。撮影したのは写真家の石田昌隆さんで、海外で撮影した写真をアーカイブのようにFBに載せていた中の(石田さんにとっては、もしかしたらただの)ワン・カットだ。でも、私はこの写真を見た瞬間、釘付けになった。私は韓国のバンドと友だちになって以来、顔はアジア人なのに日本人とは真逆の韓国人に興味を持って15年経った。これをきっかけにご飯やコスメにどっぷりはまり、今も面白さは尽きず楽しんでいる。日本では嫌韓という言葉もあるが、政治と文化(とご飯)は別なので私にはピンと来ていない。それには理由がある。

 

 

 


カメラはフィルムだしとても高価な時代。母娘は写真を撮ってもらって嬉しそうな笑顔。それが全てを表現している。「宿に泊まった日本人のお客さんが撮ってくれる」ことになって、こんな嬉しそうな笑顔になるなんてなんて素敵なんだろうと思えた。おしゃれに興味がありそうな娘のまるっこい爪につけているマニキュアも可愛いい。石田さんが撮りたい気持ちになったのもわかる。写真からは素朴そうな親子の愛情も感じとれたし、日本人のカメラを持った男性客への警戒心は微塵も感じさせず石田さんと母娘の間の空気も見える。写真は正直だ。捉えた石田さんはやはり凄い。できればこの前後の2、3枚を見せてもらいたいくらい。

 

 

今は、写真は簡単に加工できる。カラオケルームの写真ならそれでもいい。でも人の本質、ホンモノはどこなのかを見極めるために、肌でコミュニケーションをとらなければわからないと思う。石田さんは70年代の韓国のあちこちで韓国人と話したそうだが、「戦争のことを問われるわけでもなく、母娘が経営するオンドル宿で歓迎された」そう。このコメントはFacebookを見てください。まだ日本との間にぴりぴりした感情が今よりあると思っていた私ですらそのコメントは新鮮だった。

 

 

石田さんにとっては、多分ただの一枚で、私のブログ・ネタにされたら迷惑かもしれないけれど、昨日の私はこの写真を見て思うことがあったのだ。それは韓国の友だちのこと。彼女は30歳くらいで韓国のライブ・ハウスでよく会うので、自然と友だちになった。日本には行ったことがないと言ってたけど、いつも音楽のことばかり話してたので理由は知らなかった。彼女は先週大阪で開催されたパンク・スプリングを見るために韓国から1泊2日で大阪に来た。

 


FACEBOOKの写真を見ていたら、飛行機に乗って初来日。初来日だからドキドキすると書いてあった。そしてパンク・スプリングでずっと見たかったMXPXを見ることが出来て嬉しすぎて興奮していた。夜は念願のつけ麺を食べて「すごく美味しい」とコメントしてあり、どっかのホテルの窓からの静かな朝の景色と「もう空港に向かわなきゃならないのが残念」と書いてあった。そして「日本は本当に本当に楽しくて、美味しくてまた絶対に来たい!!!」とあり、そのあとにこう書いてあった。「ずっと怖くて、緊張して、勇気がなかったけど、来て良かった」と。

 


韓国で会う時に「日本に遊びに来なよ」と誘っても「うん」とあっさりした返事の裏には嫌韓日本というイメージに対する恐怖があったのかなと勘ぐった。ちょっと悲しくなった。ロック・ファンなんてどこも同じだし、彼女がMXPXを見たいという気持ちがその恐怖と緊張に勝ってくれて本当に良かった。次に来日した時や韓国に行った時にはもっと音楽意外のことや、日本のバンドのことも伝えたいと思った。そして「ご飯は好きだけど韓国嫌い」と、メディアの情報をそのままインプットしている人にいちいち説明なんてしたくないと思っていたけど、書かなければダメだと思った。結局彼女もメディアのイメージでそう思ってただとしたら残念なことだから。

 


そろそろライブも見たいしコスメも買いたいし、安くて美味しいご飯を食べるために来月か再来月ふらっとソウルに行ってこよう。最初に出会ったGUMXのドラムのがんちゃんが、ついにソウルで「お好み焼き屋」を開店した。2003年に初来日して大阪の屋台でたこ焼きを「食ってみ?」と、口に放り込んだ時の目を丸く見開いたままのあの顔が今でも忘れられない。あれから10年たって、大阪のおたふくに修行にいっちゃって今がある。私も彼らに出会ってソウルに行って今がある。人間同士は揺るがない。ま、でも……本音はソウルで日本のお好み焼き、食べたくないんだけど(笑)

 

 

 

 

当たり前のことや写真を時々載せて書こうと、石田さんの写真を見て思った。私が映画や記事で想像していた70年代の人間とは違った。韓国で日本の味が食べたくなったら(…ならないと思うが・笑) ぜひ、お好み焼き屋POBIに足を運んでやってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

      今年の1文字は「進」 ワードは「ミラクル」

2016.12.18 Sunday


 

 

 

 

 

 

よーやくいろいろ終わって(正確には明日までだけど)、2016年も終了。

 

 


まだラモーンズに関する執筆は続いているけど、年内には書き終える予定です。私がリスペクトしていて、この人じゃなきゃ任せたくないという編集者、『I Love Ramones』を編集してくれたex-リトルモアの浅原さんはもう半分の原稿に目を通してくれている。順調。執筆は本は、間違いなく編集者で決まる。呼吸が合う人とタッグを組めると間違った方向にはいかない。浅原さんは凄くニュートラルな立場で、渡した原稿を読み意見をくれる編集者だから120%安心。それに好きなバンドがThe GERMSだもの。さらに安心(笑)。そして浅原さんが手がける書籍やカメラマン(写真集)は、一筋縄ではいかないアツい人ばかり。私はその末端にしがみついていたいとも思っている。

 

 

執筆はまだ残っているものの、エネルギーは途切れていないので、ちょっとブログを書く事にした。書くネタはあるんだけど、なんとな〜く頭を整理したいので、ありきりたなヤツね。今年の漢字っていう。今年はこれしかない。

 


「進」

 


今年の私は前半の夏前に全てを決めていた。決めるまでよーく考え決意したことが2つあり。そのうちのひとつはNY&LA聖地巡礼ツアーだったわけだけど、誰かと相談したわけでもなく、占いで決めたわけでもなく、自分で自分に (これだよね? 自分?! やるんだよね??)と問いた。そして決めた。

 


手帳に9月21日出発の印をつけたのが、今年の前半。誰かに文句を言われようと、非難されようと、決めるのは自分だから後悔なんてなかった。それが自分で決めることの良いところ。決意ってそれくらいのもんだ。でも(ダメでも失敗でもいいや)というメンタリティもあった。これは韓国の友だちから影響だと思う。みんな仕事もない、カースト制度みたいな国の常識の中で、ダメでもとにかく行動するから。日本人みたいにいつまでも悩んでやっと腰をあげるという人はまずほとんどいないので、そうゆう良い部分はいただいた。

 


今日は12月18日だけど、もう12月になっちゃって、手帳は過去のページに戻してめくり、(終わっちゃったな。やったんだなぁ…あのツアー)と思って見ている。そこまでのプロセスは簡単ではなかったけど、気持ちは満足しているし、物事は確実に進んでいくという意味で「進」にしてみました。もうひとつあるけれど、これはそのうち書きます。もうひとつも今年の前半から計画を立てていて実行してきた。そのことも晴れ晴れとした気分だ。

 


そしてワードは「ミラクル」 この言葉を今年あんなに使うなんて予想もしていなかったけど、不思議なエネルギーと誰ががうまくコントロールしてくれているかのような、時間の進み方、タイミング、9月21日から帰国するまでのNY&LAでずっとミラクルが起きていた。あんなことは、もうきっとないだろうね。でも確かにあの一週間は時間とタイミングが全部思う通りに動いたのだ。説明のしようがない。スピリチュアルな事に頼らない現実主義者だけど、でも信じるしかないってくらい運がついてきてくれた。不思議なことって、世の中にはあるんだね。それは意地はってないで信じることにした。偶然でもなんでもみんなでポストに投函したのに、1人だけ10月8日にハガキが届くなんて操作のしようがないから。

 


来年はどんな年になるんだろ? 予想不可能だけど、だから楽しみ。さて続きを書こう。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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