マイケル・モンローPV撮影・東京・裏話し

2019.11.08 Friday

 

 

 

アメリカの温泉ネタもまだ書いてないけど、先にこっちを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

マイケル・モンローの新曲『Last Train To Tokyo』PVは見ました?   東京をテーマに書いたキャッチーでとってもイイ曲なんだけど……このPV撮影は8月15日に都内某所で行われ、私も関わった一人です。…て書くとファンからは「イイな〜」に見えるかもしれないけれど、実は、もう、この撮影、いやここに行き着くまでが、凄ーーーーく大変だった(泣・汗)という話しを今日は書きたいと思います。

 

 

でも。

 

 

そんな大変な撮影だったからこそ、書き残しておきたいし伝えたい。撮影の現場のことや、私が勝手な思い入れを書きつづった『メタル現場主義』という書籍もあるが、本来ならばこうゆう書籍に書くべきネタ。でも来日間近だし、11月5日発売のBURRN!12月号の見開きポスターに、このPV撮影の1日のアウトテイクが掲載されたので、タイミングはやっぱり今でしょ? w 以下、まずは映像を見てから読んでください。

 

 

サマソニ出演のために来日したマイケル・モンロー・バンドが、その前々日の8月15日に東京の某所で新曲のための撮影を行った。新曲はTOKYOをテーマに書いていたので、東京の雑多な街のどこかでPVのスチールと動画を撮りたかったのだ。という趣旨の連絡が来たのは来日1週間前。しかもこの時点では誰も何故、東京のライブハウスや雑多な場所を探しているのか、その理由を知らなかった。映像を撮りたいのか、スチールを撮りたいのか、サマソニの前にライヴやって良いのか?と疑問だらけ。

 

 

そんなマイケルたちとただいま絶賛ツアー中のElectric Eel Shockの前川くん(b)から「help!」のメールが届き、ラモーンズFCつながりもあるし、写真も撮ったことあるしというので、このブッキングをバトンタッチし、何だかよくわからないまま、私がコーディネートをすることに。この時点では「マイケルのドキュメンタリー映画を撮っている人に同行するらしい」みたいな感じで「それでいいのね。了解〜」と気楽に構えていたんだが…

 

 

それにしても「サマソニ前にライブをやってもいいの?」というなんとなくもやっとした疑問をマネージメントに聞いてみても「YES. ALL OK」で許可は取っていると言う(本当? w)。じゃ、何故レコード会社じゃなくて個人の私と?という溢れ出る疑問を一旦全部飲み込んで「ちゃんとギャラ支払ってね〜」とマネージメントと交渉しつつ、バンドの映像を撮れる人を探す。

 

 

つっても、ギャラも決まっていないのに、「来週1日、8時間以上拘束の仕事あるけどやれる?」と無理なオファーをフリーランスの私としては本当はしたくない。このリクエストでOKしてくれるのは、知り合いか友だちかマイケルのファンしかいないよ。でも知り合いの石坂さんが引き受けてくれた。

 

 

私がカサカサとゴキブリのように何か動いているのを知ったファンが「手伝います」と声をかけてくれるのは、本当にありがたかった。けど、「ライブ後にメンバー全員の楽器を責任持って都内から幕張へ運んでくれる?」というお願いを...物理的にはもちろん簡単には出来ない。運ぶことは出来るとしても、相当信用できる人にしかもう私は頼めない。CJラモーンのベースが日本で盗まれて以来。

 

 

という具合で…二転三転四転くらいして、ムービーを撮る映像チームも揃い、前川くんがブッキングも完了してくれて晴れて下北沢QUEでライヴを演れることになった(祝)。当日が来た。

 

 

午前中、「どこに向かえばいいんだっけ?」と言うメンバー達に、英語と日本語の住所を送信し「タクシーの運転手さんに見せて」とやりとりしているうちに、今日の撮影がPVのための撮影だとやっとわかる。本当なのよ、これ。「じゃあ、歌詞を読みたい」と返信するとその歌詞には「SHINJUKU」とか「SHIBUYA」という地名がしっかり入ってるじゃないの〜!!? うわぁぁあ。これは日本人からしたらとても嬉しい曲だけど、じゃあその周辺で撮るべきじゃないの?  …になる。当然。当日に。で、そこからロケハンに突入。あんなきらびやかな5人を夜中の渋谷に連れ出すなんて、混乱間違いなしだから、ロケハン必至。う〜。。。

 

 

下北沢はNYのSOHO的な街。ファッションも音楽もカルチャーがある。でも渋谷みたいな大きな街じゃなくてダウンタウンな小さい路地でできた商店街みたいな街。(説明下手ですみません)

その通りにマイケル・モンロー御一行がタクシーから降りた時、その周辺だけぱぁーっとキラキラしてました。ザ・ロック・スター登場っていう感じで華やかだったな。私たちは準備に明け暮れ息をゼイゼイ切らした1週間だったけど、ロック・スターが下北沢QUEに君臨して楽器を鳴らしちゃうと、苦労は全部忘れました(笑)。

 

 

 

というかマイケルは彼の人柄で周りをそうさせてしまう人。物事すべてに真摯に向き合う人だから。この1日も彼のエネルギーで作れちゃった気さえ今はする。彼らには十分な広さとは言えない楽屋でも文句も言わずドレスアップしリハもサクサクこなす姿は、「百戦錬磨」「プロ」そして「今日はPV用の曲を2、3回演奏したら普通にライヴを演る」というからびっくりした。PVを録るためだけじゃないの?と。その後深夜に歌舞伎町で撮影もあるというのに…。

 

 

結局、新曲からスタートし「マリブビーチ」や「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」からアンコールのストゥージーズまで全14曲+同じ曲もう一度も含めたら全15曲(多分…)を演奏しました。この日の映像はyoutube にも上がっているのでチェックしてください。

 

 

ライヴ後。

 

 

もう一度、着替えてドライヤーをかけて準備が整ったのは24時すこし前。全員が乗れるヴァンを一台ハイヤーし歌舞伎町へ。渋谷のスクランブル交差点は、昔マライア(キャリー)で大混乱の撮影になったのを思い出して恐ろしくなり歌舞伎町1本に絞った。キラキラのネオンに「これこれ」と嬉しそうなマイケルの様子はBURRN! のポスターを見てね。みんなライヴ1本やった後だからさすがに疲労も濃いけれど、ずっとついてきた。

 

 

深夜2時頃からマイケルの歌のサビだけを撮ったけど、サミ(ヤッファ)に「ちょっと一緒に見てて」と頼むマイケル。サミは「いいよ〜」と(お腹が空いたので)ハンバーガーを食べながら後ろからついてきていた。この時に、二人の関係をかい間見れてなんかとても良かったなぁ。撮った映像を確認しながらマイケルがサミに「どうかな?」と聞く。「いいんじゃない? ちゃんとマイケルらしさ出てる」みたいな会話をしてました。

 

 

 

 

この時のマイケルの集中力は凄かった。だって24時から3時近くまで、ずっと口パクで歌ってるんだから。いやその前にフルライブもやっている。あの現場、みんな集中して別のアドレナリンが出てたかも。とにかく歌舞伎町の周辺を歩いて、歌って、撮って、本当に頑張った深夜の撮影でした。

 

 

下北沢QUEを出る前にマイケルに私は「本当に今から撮る? 疲れてないの?」なんて聞いちゃったんだよね。なんとなくミュージシャンて気まぐれだから「やっぱりもう今日はやめる」と言い出すかなあと思ってたから。でもマイケルは「少し疲れているよ。でも録らなきゃ」って小声で答えてくれました。だからね、こっちもフラフラだけど、やろうってなるんですよ、彼のために。そうやってあのPVは出来上がりました。

 

 

最後のシーンを撮り終えて「終了!」って叫んだらマイケルとサミはハグして「やったな」って言ってました。仲良いなあ。というか彼らの歴史のことを考えると、二人の「大事な絆」を目の前で見せてもらった感じ。貴重な現場に居ることが出来たんだなと思えました。あの日の撮影のPVをもう一度、貼り付けておきます。そしてBURRN! のポスターの写真も是非チェックしてください。ポスターにはPV撮影の合間の一瞬も写っています。

 

 

マイケルたちは、(下北沢でライブをしたあとに) PV撮りを遂行したけど、体力ももちろんのこと、仕事への集中力など、すべてにリスペクトしかない。バンドはもちろん、ElectricEelShock、映像の石坂さん、下北沢QUE、深夜の撮影に同行してくれた友達のジンジャー(付き合ってくれてマジ助かった!!! )、関わってくれた皆様、そしてポスターにしてくれたBURRN! 編集部、デザイナーの古川さんはこの貴重な日を一枚のポスターで表現してくれた。

 

 

残せてよかった。こうゆうのって、数年後に見ると宝になるんです。70年代のKISSやQUEENの来日公演の写真が物語っているように。大変だったけど、何かを作り上げて行く時の一体感は最高に楽しかった。みんなに感謝。最後にミュージシャンとしても人間としても、偉大なマイケル・モンローに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

    スパイラル・ジェティは沈むことを予想して作られていた?

2019.11.02 Saturday

 

 

 


11月になってしまった。。。

 

 

一年があっという間でなんとなく焦る。これが歳をとるということらしい(泣)。時差ぼけもさっさと治っちゃって、それはありがたいけど、旅は終わりました宣言をされているみたいでちと寂しい。帰国して10日。撮影仕事や取材に行き完全に日常を過ごしている。

 

 

 

上はAmoebaRecordsでゲットした『It's ALIVE』スペシャル・パッケージ〜♡

 

 

でも...帰国してからも、この2冊の本(写真集)が今回のアメリカ旅行の思い出を蘇らせてくれる。THE WHOの写真集とロバート・スミッソンの本だ。特に前衛芸術(建築)家・ロバート・スミッソンが、スパイラル・ジェティをどんな素材でどう作ったかの設計図も載ったこの本を、憧れだけで眺めていた9月とはえらい違いだ。現場に行って塩まで舐めて歩いてきた今ではもう何もかも、見え方が違う。

 

 

 

 

実際に自分も、あのうずまきを歩き中心へ行った。本で見ていた世界に自分も居るというリアリティが凄くて、渡米前に眺めていた本とは同じ本とは思えないくらい実際の現場になった。うずまきを作った後に飛行機事故で亡くなってしまったから、言葉は非常に悪いけど「作りっぱなし」で終わってしまったと思ってた。でも。。。

 

 

 

 

うずまきを歩いてからは感じたのは、もしかしたら彼は沈むことも計算して作ったかもということ。初日は夕方に到着したんだけど、その時に見たスパイラル・ジェティは黒かった。ちょっとギョッとしたくらい。でも翌日の午前中に見に行くと今度は真っ白だった。塩が付着し姿を変えていた。これには驚いたし同時に感動した。うずまきはこの周辺のマグマ(溶岩)と塩で作られ、30年間沈んだのでコンクリートのように固まっていた。

 

 

 


それを触ってみたり、歩いたりするといろんな不思議が納得できた。湖の中に沈めば、マグマも塩も変化して別の作品になるというからくりを、ロバート・スミッソンは最初から計算していたんじゃないかって。それと同時に、彼は湖に沈んでも自然を破壊しないマグマと塩でこのアートを制作していたから、1969年に自己満足だけじゃなく環境のことも考えていた。ソルトレイク湖は季節によって塩の影響でピンク色になるから作品はまた姿を変える。実際に見て、触れたアートは本やネットで眺めていた固定概念を壊してくれた。

 

 

 

 

普段から山登りをする旅友のかずみちゃんが「ランチをここで食べよう」という提案をしてくれたので、スーパーで買った(でかいけど多分)子供用のターキー・サンドイッチ・セット(コールスローやチップス、クッキー入り)を買ってスパイラル・ジェティを眺めながら食べた。$5.90のランチ・ボックスが本当に美味しく感じる贅沢なランチ!!  贅沢とはこうゆうことだね〜。

 

 

スパイラル・ジェティをゆっくりと満喫し、私たちはアメリカの温泉に向かってドライブした。これがとっても良くてアメリカの温泉もバカにできないと思ったよ。次はアメリカの温泉もまあまあいい湯だな〜の話。…続く♨︎

 

 


【スパイラル・ジェティへの行き方】 一番簡単なのは、ソルトレイクからGOLDEN SPIKEという線路建設に関するミュージアムをまず目指します。この施設でもらった下の地図を見ながら舗装されていないじゃり道を運転すること30分。道はじゃり道だけど、凸凹ではないので四駆じゃなくて1600ccくらいの車でもいける。私たちは翌日いった時に一度間違えたけど、道は何本もないのでナビにSPIRAL JETTYと入れれば案内してくれた。最後の目印はこの「SPIRAL JETTYまで9マイル」の看板。ユタ州やソルトレイクへ行ったら是非見てきてください。国立公園ではないので、ビジター・センターなどはありません。ソルトレイクの街の中心から二時間半のドライブです。Enjoy and Good Luck ! !

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:アメリカ



            

      初めてのハリウッドボウルでTHE WHOを見(れ)た

2019.10.27 Sunday

 

 

 

 

 

10月10日から20日まで、日本人にしては少し長い10日間の夏休みを過ごしてきました。前回のブログで「私はTHE WHOが見れるのだろうか?」と書いたけど、予想していたよりも完成度の高いそして素晴らしい歌の公演を2回も見て聴くことが出来て今も余韻に浸っています。    

 


9月末にロジャーの喉のダメージでテキサス周辺の公演がキャンセルになり、THE WHOのアメリカ・ツアーのリ・スタートは10月9日のサンフランシスコを目指すとアナウンスされた。成田から飛行機に乗ったのが10日だから、アメリカはまだ9日。もう米国に到着してみないとTHE WHOが見られるのかも、旅・後半のメイン、地球をキャンパスに見立ててソルトレイクの湖に作ったアート『スパイラル・ジェティ』を見られるのかも分からない…という全部バクチな旅が始まった(←この理由は前回のブログを参照) 結論から書くとTHE WHOも見ることが出来て『スパイラル・ジェティ』も見れたどころか浮き上がっていて中心に立つことが出来た。

 

 

今年の春にチケットを取ってから、THE WHOを10年ぶりに見ることをずっと楽しみに仕事をしてきた。だからLAに到着して9日のサンフランシスコ公演を演ったことを知った時はおもわずガッツポーズ。ピンボール・ウイザード帽子も作った甲斐がある ! ! と本当に思った。

 

 

 

 

ハリウッド・ボウルはあのビートルズも公演した歴史のある野外の会場。めちゃめちゃ大雑把に書くと日比谷野音(こっちが真似したのかね?) の、もっと大きくて立派な建物(失礼)という感じ。私が買ったチケットは真ん中よりも少し前の席。一枚って結構良い席が買える。会場にもTHE WHOが見れることにもワクワクしすぎてしまい、開場の2時間前くらいに到着してずっとぐるぐる歩いてました。

 

 

LAの前座だけTBAだったけど、結局リアム・ギャラガーに。フジロックのヘッドライナーもTHE WHO大先輩の前では持ち時間25分のオープニング・アクトだ。贅沢だね。1曲目は『ロックンロール・スター』。周りの客層は50年前にウッドストック見てそうな人も含む日本と同じ大人だらけ。リアムのことを「人気のあるイギリスの若者」と説明してて苦笑。ま、そうなるよね。

 

 

 

 

ハリウッド・ボウルは飲食自由。前方はチケット代も高額なテーブルのついたお相撲でいう升席みたいなエリアだからみんなワインやピザを持ち込んでいたりして、ちょっと大人のコンサートという感じ。私のチケットはその次のブロックでシートはまあまあ良い席。ずっとLAに住んでいたロック友だちのジンジャーから「正面から入らないで横から入ればマーチャンダイズもすぐ買える」と通情報を聞いてたので、その通りにしたら15分で入れてマーチャンダイズもすぐゲット。

 

 

 

 

THE WHOはリアムが終わった30分後にオーケストラが着席してステージを囲み、最後にロジャーとピートが登場。日本公演でも見たようにロジャーは紅茶のカップを手に持ちながらステージに登場し、カップをタンバリンに持ち変えてオープニングの『TOMMY』の演奏が…この時点でもう感動で涙目。THE WHOのファンの人がここを読んでくれていたらyou tubeにオープニングが上がっているので是非チェックしてください。この声が二週間前に公演をキャンセルした74歳の声。恐れ入ったしウッドストック・アーティストのキャリアを目の当たりにした瞬間でもありました。凄い。

 


昨日、ちょうど仕事でゴブリンの撮影をしたばかりなんだけど、映画meets音楽は音だけじゃない要素が次々と入ってきて曲を倍、盛り上げてくれる。サントラってそうゆうものだけど、THE WHOの場合『TOMMY』も『さらば青春の光』もピート自身が投影されているから曲にさらに愛着がわく。そうやって私は聴いてきた。

 


私にとって『TOMMY』は無人島に持って行く一枚。RAMONESやRAVENじゃないのかとよく言われるけど、無人島でサバイバルしていくメンタリティを上げてくれるエモーショナルな一枚は映画の残像とともにこれしかない。とにかく大好き。だからこのツアーを見にいくのはマストだった。バンドの年齢=リミットもある。『TOMMY』がオープニングで始まるショー、後半は『さらば青春の光=Quadrphenia』真ん中でバンド・セット。THE WHOの歴史を一度に味わえるコンセプト・セットでしかもあの声。見ることができて本当に良かった。

 


10代の時に初めて見た映画『TOMMY』、20代の時に初めて外国に見に行ったバンドTHE WHO、そして今も、キース・ムーンもジョン・エントウィッスルもいないのに、最初と同じように映画と曲の素晴らしさを(オーケストラの演奏付きで)味わえるなんてこんな幸せなことはない。「あと5年くらいで声は出なくなると思う」とロジャーは言ってたけれど、それを疑うくらい10代の時に聴いたロジャーの声のままだった。声のことはロジャーのことばかり書いているけど、ピートの声も好きです。ピートはMODSスーツを着てギターを破壊していた頃のピートそのまんま。めちゃめちゃ楽しそうにギターを今も弾いている。あんなかっこいいおじいちゃんがうちのおじいちゃんだったらいいなぁ(笑)

 


オーケストラの美しい演奏ともう一人ザック・スターキーの存在も。彼のおかげでTHE WHOはキース・ムーンというスーパー級の存在感のドラマーでなくても成立している。私が初めてロンドに見に行ったTHE WHOはケニーだった。それはそれで良かった。なぜってこの時のコンサートも「エルトンジョンがゲストで登場するTOMMYを含む公演」だったから。あ、この時もロンドンのロイヤルアルバート・ホールに早く到着してぐるぐる歩きまわってたら、入り口にエルトンが乗った車が来てファンがワーワー騒ぎ出したから走って見に行ったら思い余ってそのエルトンが乗った車に足、引かれました。実話。

 


そのザック・スターキーのインスタを見たらお父さんのリンゴ・スターが見にきていたらしい。「俺も昔ここでやった」と話せる親子…すごっ。ザックのドラムは丁寧だけと主張していて今のTHEWHOのサウンドそのもの。彼が叩いているから再現できていて満足できていると思う。とダラダラ書いたけど、そろそろ飽きてもいい頃だと思いつつ、毎日、これまた素晴らしく勉強にもなる写真集を眺めながら2020年のウエンブリー・アリーナに思いを馳せていたりしている......続く。

 

 

 


SET LEST/THE WHO@hollywood bowl 2019 0ct 11

 

Overture
Amazing Journey
Sparks
Pinball Wizard
We're Not Gonna Take It

Who Are You
Eminence Front
Imagine a Man
Hero Ground Zero

The Kids Are Alright
Substitute
You Better You Bet
Won't Get Fooled Again
Behind Blue Eyes

Ball and Chain
The Real Me
I'm One
5:15
The Rock
Love, Reign O'er Me
Baba O'Riley

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK



            

      USAドライブと私のTHE WHOはどうなる?

2019.09.30 Monday

JUGEMテーマ:アメリカ

 

 

 

 

あと10日。。。。。。。10月11日と13日のTHE WHO@HOLLYWOOD BOWL公演♡に行き、久しぶりにアメリカを走ってきます。

 

 


今回の旅のメインは、THE WHOのMovein’ ON Tour。そしてもう一つ、LAでTHE WHOを見た翌日にソルトレイクに飛び、ず〜〜と、本当にず〜〜っと行きたかったニュージャージーのアーティスト故ROBERT SMITHSONのアース・アート(Earth Art)を見にドライブ旅。

 


アース・アートとは?  文字通り地球を使ったアートで、ランド・アートとも呼ばれているけれど、私はROBERT SMITHSONの作品SPIRAL JETTY(スパイラル・ジェティ)が大好きすぎて、自分の名前をサインをさせてもらう時、必ずうず巻きを書いているのはこの影響。

 


このスパイラル・ジェティ1970年に作られたんだけど一度沈んでしまった。この作品を作った3年後にロバート・スミッソンは38歳の若さで事故で亡くなってしまう。でもスパイラル・ジェティは、沈んでから30年経った2000年に再浮上する。その姿はバクテリアや気候の影響で、元の作品とは全く違う姿になっていた。というストーリーがあるのです。作ったロバート・スミッソンが知らない今のスパイラル・ジェティ。これを見に行ってきます。でも季節によって広島の宮島じゃないけど、沈んでしまう時もあり(ソルトレイクの水が増した時)あり、見られるかどうかは運なのです。私もこのスパイラル・ジェティの上を歩いて、渦の中心に行ってみたい ! !

 


そんな「バクチな旅」だけど(笑)、行かなきゃはじまらないからね〜。でももしもスパイラル・ジェティは見られなくてもTHE WHOが見れるし〜! ! と思っていたら、なんと、先週ロジャー(vo)の声が出なくなりなんと9月の公演はキャンセルになった。がーん。

 


いや、でも実はそこは覚悟していました。THW WHOのUSAツアーは、春がイースト・コースト、秋にウェストコースト、と分けていたのはロジャーの喉のため。コンサートも連日ではなく1日置きの日程になっている。だから10月は10/9にサンフランシスコ、10/11&13がハリウッドという日程。

 

 

 

だからもしかすると秋はヤバイかもな、とは思っていた。でも4月のNYのMSGにはなぜか行きたいと思わなくて。MSGは自分にとってガチでコンサートを見る場所というか…仕事てきなというか...とにかく...なぜかNYではなくLAを選んだ。ピート・タウンゼントはSNSで、何回も何回も謝っていて、こっちが申し訳なくなる。しかも凄く庶民的な感覚で「ベビーシッターを雇ったり、仕事や家族のスケジュールを計画したりしなければならなくて、そうゆう部分も申し訳無いと思っている」と。でもね「もういいよ、待ちます」という気持ち。

 

 

私が初めて外国にバンドのライブを見に行ったのが、1987年のロンドン。THE WHOを見に行った。私が好きになるバンドはどれもこれも来日してくれなかったから(笑)、もう見に行かないとTHE WHOですら見れないまま終わってしまうかもしれないと恐れていた。キース・ムーンは死んじゃったし。でも、あれから32年経った今もバンドは活動してくれている。このことには感謝しか無い。ロジャーは75歳。ピートも74歳。こうやってまだ見ることができるんだから(多分)もしもキャンセルになったってまた行くよ。「10月9日に出来るように努力しているから待っていて」とは言ってるけど、身体のことだからわからないからね。

 

というそんな状況だけど、凄く楽しみです。

 

 

 

さて。

 

私はTHE WHOのコンサートとソルトレイクのスパイラル・ジェティを見ることができるのでしょうか?  私にもわかりませんね。でもそれも運命。こんな旅したこと無いからちょっとエキサイトしてます。

 

 

でも〜、ここに来て野球の神様が手招きし始めたのよね〜?!  今回はTHE WHO公演もあるし、野球シーズンも終わりだからと諦めていたメジャー・リーグが、ドジャースが勝ち進み、プレイオフで地区優勝まで来ているため10月のこの時期に、THE WHO公演の前後に試合があるんだよね〜。キャンセルになったら野球のチケットは降ってくるのだろうか?? 凄く高いんですけど〜。

 


とにかく私の大事な旅は来週です。行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     1997年を思い出した2019年のFUJI ROCK

2019.08.10 Saturday

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 


今年もFUJI ROCKに参加(お仕事)してきました。ファン、関係者の皆様お疲れ様でした。23回目のフジロックは、初心(1回目)に戻ったと3日間でした。

 


今までは、音楽雑誌『CROSSBEAT』の為に撮影させてもらってきたけど、今年から雑誌ではなくウェブのための撮影に変わりました。自分の仕事はシャッターを切ることだからやることは同じなんだけど、洋楽ロック・バンドの出演が少ないこともあり、今年からはグリーン・ステージに張り付きではなく、全ステージをくまなく回りセレクトして撮影するという構成に。で、本当に何十年ぶりかに山道を奥の奥まで歩いた。ちなみに最初のステージから奥のステージまでは天気の良い時で片道30分かかります。

 


フジロックはおかげさまで皆勤賞。でいざ山の奥に行き「私はフジロックのことは何も知らないんだな」ということを今回知りました。いろんな人から「奥の方にあるピザは美味しいから絶対に食べて」と聞いていたピザ屋さんも初めて見つけ美味しそうだったけど、行列で結局食べられなかった。


そんなこんなで初めて見る景色にいちいち感動するフジロック。このフェスは自分の好きなバンドが出演していなくても新しいバンドや「おっ!」と思うバンドに出会える面白さがある。初日の山奥の可愛いステージで遭遇したバンド(メンバー)を見て卒倒する。Vo&Gに俳優の佐野史郎、ギターは山本恭司、ベースは湯川トーベン、ドラムはくるり&DQSの森信行というスーパー・バンドがふわふわっと凄い演奏をしていた。これがフジロックだね〜!  まるで初めてのフジロック初日はこんな風にスタート。

 

 

が。今年はテレビでも大袈裟に報道されていたように、2日目の夜が台風の影響で長時間のゲリラ豪雨。東京でゲリラ豪雨というと短時間で降る大きい粒の激しい雨ってことになるんだけど、苗場のゲリラ豪雨は止まらずにずっと降り続いた。この時の様子はこちらでチェック


2日目のグリーン・ステージのヘッドライン、SIAの時が本当に酷い雨で、初めてフォト・ピットが川のようになりペットボトルが足元を流れて行く。こんなの初めての経験。そして…よりによってSIA←ディスっているわけじゃない。でもSIAのARTなパフォーマンスは、野外の豪雨の中で聴く(見る)音楽ではない。これはアーティスも本当にかわいそうだけど運だ。雨の音が凄すぎて歌もきちんと聴こえない。豪雨の辛い環境で、サウンド的にも自分自身をもアゲてくれて耐えうるバンドはやっぱり雨音をも味方にするか消す爆音系じゃないと無理(笑) 個人の差はありますが。

 

 

2013年のフジロックも豪雨だった。あの時ステージにはNINがいた。途中、落雷もあったけど「演出か!?」 と思えるほど豪雨と轟音がマッチして最高だったんです。ホント。雨に打たれてへたりそうな時は「ええい。もうどうでもいいや」とエネルギーを外に放出できる音じゃないと。これ『メタル現場主義』にも書いたけど、耐えるんじゃなくて、それを「イエーイ」というエネルギーに置き換えるのがベスト・ウェイ。ポジティブに転換。だからじっくり聴くSIAは辛かった。じゃ誰なら耐えられるんだ? ろうというわけで豪雨のステージに映える耐えれるバンド(音)BEST 3 の発表〜。

 


1位 N.I.N 「March of the Pigs」
2位 PRODIGY「Fire starter」

3位 METALLICA「Fight fire with fire」
 


この3バンドなら「うぉぉぉおお」と豪雨と落雷にアドリナリン放出で盛り上がり間違いなし ! メタリカで落雷やばいね(笑)

 


カラッと晴れてた翌日に会う人に質問されたのが「第1回の伝説のフジロックもこんな感じだったんですか?」。あの瞬間だけを思うと雨量は同じか今回の方が多かったかも。1回目はそこに強風も加わり(台風だから)、そこに自分たちの軽装で飢えと寒さと戦ったので、あれでカッパ着ていたら…まあそれでもキツイ環境には間違いなかったなあ。

 

 

  


で。カメラも長靴も水没しました…(泣)

 


いくらカッパを着ていたってね、頭は小石が降ってきているみたいに痛い。これは体験しないとわからない。体験したい人はお風呂場でしゃがんでシャワーでも浴びてみてください(笑) カメラ2台にももちろんレインコートを着せているけど、レインコートってむれる。カメラのカッパも同じで湿度が高く、外からの雨がプロテクトできていても、内側が湿気でじっとりしてきて水滴が出来上がる。予定通り水没。長靴も帰宅して脱いだら350mlくらい「じゃー」っと水が出た。横殴り雨だからカッパ着てたって足に当たる雨がどんどん長靴にはいって行く。レンズには水が溜まった。

 

 

 

でも1997年の1回目の時、カメラマン達が「とにかく蒸発させろ」と言ってたのを思い出し、ドライヤーで延々とカメラを乾かした。乾燥剤もどっさり使って。機会を外で扱う人は覚えておくといいですよ。もう石焼ビビンバの器か!? ってくらい熱くなるほど乾かし徹底的に掃除したら翌日水滴は消えて復活。よかった(号泣)。そのレンズで撮影したのがこちらの記事のCUREやDEATH CAB FOR CUTIEです。

 


3日目は天気もまあまあで、山道を歩いていたら、多分イギリスから来たファン(?)が「日本人って泥んこに突っ込んでいかないんだな」と言っていた。確かに雨を受け入れて泥んこに突っ込むと言うよりは日本人は耐え抜くかもね。フェスもお国柄が出る?

 


23回目のフジロックは1回目のフジロックを思い出す、いろんな意味で初めてのフジロックでした。今回、ウェブ以外にファッション誌のお仕事もしていて「Tシャツ撮影」(Vol.1)もしました。協力していただいた皆様、ラモーンズ・ファンありがとうございました。そのTシャツ撮影仕事はこちら。編集部の意向でセレクト、顔見せ有無、ありますがご了承ください。いつも応援してくれるラモーンズFCの会員のみんなや東京からメッセージもありがとう〜。今回場外の場外にある太田君のジョー・ストラマーのBARにも行けた。ジョーが苗場に来ていた時に通っていたBARに写真やグッズをまとめたミニ・ギャラリー。ジョーへの愛が詰まったBARでした。

 

 

 

 

今年のヒットはパン屋さんと五平餅でした♡

 


でも喉元すぎたら、楽しかったFUJI ROCK。来年は8月に開催するそうです。2日目のヘッドラインにラムシュタインあのセットみたいなのが一つあるといいんだけどなぁ〜と言うだけはタダ。

 

皆様、本当にお疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     映画『新聞記者』を見ました

2019.07.16 Tuesday

 

 

JUGEMテーマ:映画

 

 

 

 


6月末の公開から2週間経ってようやく見てきました。


「早く見に行かないと、公開が途中で打ち切られちゃうよ」とか、
「日本の女優は”影響”を受けたくないから韓国の女優を起用した」とか


公開前からいろんな憶測が飛び交っていてので、焦りながら映画館へ。
結論から書いちゃうけど、ストーリーも俳優の演技力も圧巻。

 


『新聞記者』凄かったです !

 


自分、社会派映画好きだし、クライム映画はアメリカ映画や韓国映画でもたくさん見てる。光州事件をベースにした『タクシー運転手』軍事政権下で犠牲になった実在した大学生が主人公の『1987 ある闘いの真実』など、実話を基にした映画に吹っ飛ばされるほどのインパクトはないだろう、実話から(心が受ける)衝撃には耐えられる免疫が自分にはついているだろうと思ってた。でも免疫なんて関係なかった。なぜなら、これは99%自分の国、身近で起きた、身に覚えのある内容の映画だったからだ。

 

 

ストーリーは「ホームページのサイトを見てください」でも映画の「ストーリー」は読まなくても大丈夫だ。この話、全部聞いたことがあるから。※なぜかサイトをコピペできないので貼り付けます。https://shimbunkisha.jp/

 

 


総理大臣の友だちが建設計画を企てた獣医学部新設の本当の目的、内閣情報捜査室の仕事、 ああ、もう面倒くさいので書いちゃうと実存する事件、加計学園やレイプ事件の曖昧な部分を映像化したように見えるのがこの作品だ。もし”そうじゃないなら”、どんどん宣伝すればいいのに、これだけどこでも満席でヒットしている作品なのに、メディアではほとんど取り上げられていないのは何故?   しかも特定のIPからの集中攻撃で作品のHPのサーバーがダウンしているというのも宣伝的には良い効果だと思うけど、まるでこの映画のストーリーみたいでゾクゾクする…怖い。

 


都内のイオン・スーパーの中のシネコンは満席だった。年齢は高め。私は旦那と、姪っ子は友だちとそれぞれ違う映画館に見に行った。吉祥寺に観に行った姪っ子は見ようと思っていた2時の上映が満席で、次の回のチケットを慌てて購入したらしい。映画がはじまる前には、いつもの映画泥棒のCMが入り、その後に次回作の告知宣伝のCMがはじまるのかと思いきや、なんと立憲民主党等のCMが映画館で流されて驚いた。その時点でなんかゾッとしたんだよね。この映画を見るための煽りにはなっていているけど、選挙に利用されている気がして。だから、映画を観る前から私にはそれすら(国にコントロールされるなよ、騙されるなよ)というメッセージに見えちゃってまた怖いなと思い、気をしっかり持って見よう(笑)なんて思っていた。

 


特筆すべきは人間の心理。ここから多少のネタばれあり→。松坂桃李演じる、内閣情報調査室官僚の家族と仕事の間で揺れる葛藤。自殺した昔の上司の無念と真理を明かすために不正を暴こうと行動する。が結局、上司から「ひるがえることは悪いことじゃない」という言葉や、家族に対する後ろめたさからなのか、結局、不正を暴く信念はそこで終わり、昔の上司と同じ道を選択してしまう(?)。ああ、それだけではないね、彼の自宅の絵もすごかったね〜。内閣情報調査室の官僚は(あれは銀座周辺の)高層ビルの最上階に住めるんだよね。あの窓の景色だけでもインパクトがあった。会社に従順でいることが生きていくための道みたいな話、国レベルじゃなくても周りにたくさんい(あ)るなぁとも。理性と理想の通りには行かない。

 


俳優の演技も凄かった。松坂桃李の最後の交差点で見せる虚ろな表情が今も脳裏から離れない。そしてその交差点の反対側で「え?」という驚きの表情を見せるシム・ウンギョンの相対する表情も。二人の表情を映し出しすぐに黒いエンドロールへ画面は移り終わりだ。あっけにとられたまま。きっと見ている私たちもウンギョンみたいな顔をしていたかもしれない。あのシーンでこの映画は決まった。それと内閣情報調査室の上司のセリフ。

 


「この国の民主主義は形だけでいいんだ」
   

 

「どうせ映画のセリフじゃん」と笑えないくらい今の日本人の心に突き刺さったセリフなんじゃないかな。だからこの映画を「クライム映画を見すぎて免疫力のある自分は大丈夫」で片付けられなかったんだと思う。リアルすぎて忘れられない。この国って一体.......

 


日本でもリメイクされた映画『サニー 永遠の仲間たち』でずっこけキャラを演じたシム・ウンギョンの目が印象的。顔のアップも多かった作品に思えたのは印象的だったからかな。赤いカーディガンが欲しくなったなぁ。もうひとり、松坂桃李の上司を演じた田中哲司の冷たさも素晴らしかった。これは私的には『1987 ある真実の闘い』で無実の大学生を水攻めにして拷問死させる時のキム・ユンソクの演技と同じくらい恐ろしく冷たくて素晴らしかった。

 

 

 

書きたいことはあれこれあるけど、まとまらないです(笑)。ラストシーン、我が家では捉え方が三者三様で違ってて面白かったです。まるで『さらば青春の光』のあの後ジミーはどうなる? 的な感じ。この映画、見終わった後に友だちと語りたくなるやつです。映画館でも遠くを見つめて動けなくなっている一人で来たオジさんやフード・コートでパンフを食い入るように見る高齢のご夫婦など、観客の圧倒された表情も見ていて興味深かった。そして今後、松坂桃李の映画は全て見なければと思いました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

   『人間椅子』の30周年記念完全読本の中の撮影秘話

2019.06.25 Tuesday

 

 

 

 

 

 

新作『新青年』が発売と同時にオリコンチャート14位にランクインし、明日は千葉LOOKでリリース・ツアーの初日を迎える人間椅子。そして 『椅子の中から〜人間椅子30周年記念完全読本』も26日発売(シンコーミュージック発刊)。私もお世話になった池袋のジュンク堂の9階ギャラリーでは1ヶ月に及ぶこの書籍発売記念特別展 示も本日からスタートだそうですよ〜。

 

 


そんなノリにノッてる人間椅子のギタリスト和嶋さんのこの写真にまつわる撮影エピーソドを書きたいと思います。『メタル現場主義』的、撮影裏話ね。この撮影、実は依頼を頂いた当初からちょっとユニークで…最初、依頼内容は 「和嶋さんのやりたいことをテーマに写真を撮る」。そして「集合場所はココ」とGoogle MapのURLが届いた。で、撮影内容を理解しないまま「どれどれ…」と ググって出てきた地図がコレ↓

 

 


ん?

 


最初は間違えたと思いました。行き先を。だって都内の撮影スタジオや六本木や渋谷のライヴハウスではなく出てきたのは畑…(笑) あとで撮影内容が判明し「和嶋さんが体験したかったお味噌作りを撮る」と分かってからはかなりエキサイト ! あの和嶋さんが自身で味噌を作るのだ。ぬか床だって面倒臭いと思っているずぼらな私には、このテーマを選んだだけで「凄い」と思えたし、味噌職人のように見えた。というか和服のギタリストというその存在がもう職人でもあるけれど、とにかく繊細な作業にチャレンジする被写体を、私も繊細に切り撮ろうと決めました。

 


「畑に入るので長靴で来てください」という農園からの指示もフジロック体験していると楽勝で、長靴、カッパ、脚立と機材を積んで千葉の成田空港近くの畑へレッツ・ゴー! !

 


千葉はロッテ戦や成田空港で行き慣れているので遠いと感じたことはない。畑に到着すると程なく和嶋さんも自分で運転した車で到着。挨拶をし終わり、みんな長靴に履き替えて農場のスタッフの説明を聞くことからスタート。味噌作りの行程、作業、お野菜の事。和嶋さんは本当に真剣に聞いてました。 この様子は写真がたっぷり掲載されているので是非、是非、書籍を手にとって見てください。

 

 

 

 

和嶋さんは、真面目に丁寧に作業に取り組んでいて、本気と真剣さがはじまってすぐに伝わってきた。「やってみたかったから〜」な好奇心じゃなく、とにかく丁寧に丁寧に塩を交えて大豆を潰す行為を文句一つ言わず集中してこなしている姿はシロートには見えませんでした。そりゃあ、このための企画だから当たり前かもしれないけど、分からない行為に戸惑ったり、日中外で畑仕事。疲れても来る。でも和嶋さんは、わからないことは質問し、どんどんのめりこんでいく。それと、こんなこと書くのは失礼かもだけど、相手(農園の人や周りのスタッ フ) に対して、いつも一歩謙って接していて、人としても見習わねばなぁ…と仕事の最中に何度も思ったことも書いておこうっと。

 


大豆をこねる回数を数えながら「もう少しかな」と作業している様子に、シャッター切るのを止めて見入ってしまった(←このこねる作業が一番大変 )。集中力、本当に途切れない方です。 レ コーディングもこんな感じでされているんだろうかというイメージも浮かぶ。この日に撮ったカット数、 2時間のライヴ1本分くらいありました。人間が本気で何かに没頭している表情ってライヴのマックスの瞬間と同じくらい引き込まれるし圧倒されるからついシャッターを切ってしまうのです。

 

 


この農場はビギナーでも誰でも参加できるけど、和嶋さんの作り方はシロートっ ぽくなくて、コツを熟知しているかのような手(指)さばき。それが写真から伝わるといいな。その味噌をつけていただくお野菜もこの畑から引っこ抜いてきたんだけど(これが本当に新鮮で美味しかった〜 )、和嶋さん、一人でどんどん興味ある(遠くの)畑にまで歩いて行き「これはなんですか?」と興味深く野菜の関する質問もしてました。晴天の畑で、自分が口にするものを自分で作るって、凄くピュアなんだなということも知れた、良い1日でした。

 

 

 

 

 

この日の被写体、和嶋さんが、物(曲)作りの人、つまりクリエイティヴな人、 しかも手を使った作業に長けている人だと確信したのは言うまでもなく。この時に作ったお味噌、そろそろ熟成されて食べ頃だと思うけど、完成したのだろうか? 興味津々。クリエイティヴな人がさらに物を作るってWでエネルギー投入な感じで凄い。きっと美味しいお味噌が出来上がったことだと思います。

 

 

 


和嶋さんがこの書籍の中で発言していた「スピリチュアルに興味がある」という言葉を借りるなら、青空の下で嬉々として作業する和嶋さんのいた畑と本気っぷりこそ、パワースポットのようにエネルギーを発しているように見えた。幸せそうだし新しいモノ(=味噌)が生まれたわけだから。私もやってみたいな〜とちょっとは思うけど、あの集中力は…ない。

 

自分の味噌は永遠に作れないな......(泣)

 

 

 

 

 

 

 



            

     RAVEN4度目の来日裏話し

2019.03.19 Tuesday

 

 

 


RAVENの日本公演に行かれた皆様、お疲れ様でしたー!

 


100枚以上持参したパッチ、そして日本公演記念Tシャツも全て完売と、スタッフではないけど何だか嬉しい楽しい2日間でした。マーティが前々回同様、飛び入りした初日の1stから3rdまでりベスト・ヒット日はもちろん、2日目も「STAY HARD」や「ON and On」というレア曲が入る結局( ? ! )ベスト・ソングが並んだセトリに熱狂的なLunaticksも、初めてRAVENを見に来た若いファンも一緒に盛り上がり会場の一体感も最高で。ファンのことをLunaticksと呼ぶくらい熱心なファンが集まるライヴはまるでサッカーの応援のように独特なムード。インカム付けて走って歌うメタル・バンド他にいない。兄弟とはかれこれ1986年からの付き合いなのに、今さら知ったネタもあるので( ! ! )、もう1本RAVENについて書きます。

 


まずは初日のセトリ。ライヴ盤『スクリーミング・マーダー・デス・フロム・アバヴ〜ライヴ・イン・オールボー』で予習はしといたけど、実際に見たMIKE(Ds)加入の新生RAVENは、ライヴ盤以上に速かった。『Faster than the speed of light』なんてCDより速かったんじゃないの? ってくらい(笑)。

 


フロリダで毎年開催している70000tonのクルーズ・ショーのyou tubeを見ていたら、ジョン(61)とマーク(59)は、MIKE(『WIPED OUT』がリリースされた82年生まれ・としょっちゅう言われてた)の速さに、いよいよついていけないんじゃないかと心配になったけど、始まったら途中でMIKEがもたついてるようにも見えて…恐るべし兄弟。相変わらずハイパーなステージ。そしてファンもサッカーの応援みたいにファン大熱唱。アスレチック・ロックの真骨頂を、MIKEのRAVENで今観れた。プロモーターさんに感謝。

 


飛び入りマーティも笑顔で楽しそうに弾いていて、それも良かった。ジョンにファンレター書いたくらいのファンだったからね。でも何故ベーシストにファンレター? 今度聞いてみよう。そんなマーティの弾いたのが『Wiped Out』だったのもマニアっぽい。MIKEも「兄弟とプレイするのは楽しい」と言ってたけど、このバンド究極の自由奔放セッション・バンド、予定調和無しのパフォーマンスを繰り広げるから、ミュージシャンは兄弟と演奏することは楽しいんじゃないかな?  と思った。セトリのアンコールはCrush, Bang, WallopとSeek & Destroyともう一曲あったかも… (忘れた・汗)

 

 

インカムを付けて歌いながら走り、指でベースを弾くジョンの声も今回、特にすごかった。「歳をとると声帯って狭くなるんじゃないの?」と聞いたら、ヨガの呼吸法か何かを取り入れて声帯の特訓しているそう。納得。しかし特訓したら走ってても歌える?  私ならゼイゼイ言ってそう(笑)。ベース・ソロも凄かった。指で難しいことやってたけど説明できません…(泣)。ベーマガ取材してください。

 


RAVENはリハーサルで曲は殆どやらない。音の微調整に1時間以上かけるけど、それでせいぜい1曲やったか、やらないか。3/14のセトリでは新曲を含む5曲が、これまでの来日公演で初めてプレイした曲。ライブ後に話していたら、その5曲のタイトルをマークが全部言ったのでめちゃ驚きました。過去3回のセトリを覚えているってこと。そのマーク、10年前は大怪我で車椅子の生活だったのによくぞここまで復活したなぁ。今も足にはボルトが入っていてこの後また手術するらしい。

 

 

 


2日目のセトリ。2日目は1stから3rd以外のベスト・ヒットの日(だっけ?)とアナウンスしていたと思うけど、セトリの内容はほとんど変わっていませんでした。

 

 

ジョンの手です↑

 

 

「STAY HARD」と「On and On」という日本では私がBURRN!にいた85年頃、ワーナー(アトランティック)からメジャー・デビューしたアルバムからの曲とカバー曲が追加。80年代に、ツバキハウスで遊んでいたファンは、前3作と名盤『LIVE AT THE INFERNO』を聴き込んでいたかもしれないけれど、当時の中高生にはこのワーナーの作品がRAVENを知るきっかけになったはず。だからアメリカでブーイングを浴びた作品と言われてたけど、思い入れの強いファンが多い。それに作品としては決して悪い内容ではないからね。2日目の公演後、私のアカウントにメッセージや「聴けて嬉しい」といったコメントもドサドサ届きました。そんなわけで、RAVENを85年以降に知ったファンは、2日目は後期の曲を期待したと思うけど、次回に期待しましょう。私もリクエストを紙に書いてどっさり渡しました。『MAD』や『Life’s A Bitch』『Nothing like〜』などなどから。

 

 

このリクエスト・リスト、マークは「いい選曲」と言っていたし「俺もこの曲好き」と、プレイしたがっていたけど、MIKEと一度もプレイしたことのない曲はカットされた模様です…(多分)。リハ後に楽屋を覗くと、別の曲名が書かれたセトリがあったので「今日やるセトリ?」と聞くと「いや、まだ完成してない」と言っていた。けど...出来なかったのかな。兄弟はフロリダ、MIKEはLA在住で簡単にリハーサルはできないのです。今年は(新作のために)3人でスタジオに入るみたいなので今後に期待したい。まあ「いつまでもあると思うな来日公演」だと思っているので、ついつい、あれこれ期待しちゃうんだよねぇ。

 

 

2日目の公演が終わって楽屋に入るとジョンは開口一番「今日のセトリどうだった?」と聞いてきたので「悪くはないが、私のベストではない」と答えちゃいました。

 

 

そういえば、リリースから30年目にして知った事実。『Nothing Exceed like Ecsess』のカバーで埋められているおっさんは誰かというと、「当時のマネージャー」とファンの間で言われてて、私もそんな風にどっかに書いた気がするんだけど…当時のマネージメントはMEGAFORCE=社長はジョニーZ(ジョニー・ジー)。だから彼だとばかり思っていたら「あのモデルになっているのは、ジョニーZのアシスタントでRAVENを担当していたトニー」だそうです…OMG。ジョニーZは「今もRAVENを気にかけてくれている」そう。

 

 

ライヴの翌日はオフだったので、新宿をハングアラウンドし日本にはまだ存在するレコード屋(CD屋)巡りと楽器屋に行きました。楽器屋は飽きないみたいで、毎回楽器屋には必ず行くので次回があるなら御茶ノ水の楽器屋街に連れていきたい。ジョンはあれこれ弾いていて、その間テレキャスにしか興味のないマークは「このフロア、ベースしかないからつまんないな」(笑)。

 

 

ビルのフロアごとに楽器の階、エフェクターの階と分かれていて、エレベーターで上がったり下がったりするんだが、それがニューヨークの42ndあたりの楽器屋街を見て回ったことに似ていて(LAだと路面店になるから)、「ニューヨークみたいだな」と兄弟で懐かしそうに話してました。「ビッグ・シティは嫌いじゃないよ。来日してもすぐ帰るだけだから歩いてみたい」と新宿を歩けたことには満足していたみたいです。そういえば、私の書籍「メタル現場主義の2冊目を早く書け」と言われ「どうして次に行かないのか?」 とケツを叩かれました。手を抜かないというか前に進むバンドだなと思った。

 

 

 

 

 

おまけ。彼らはイギリス人だからこれまでは紅茶を飲んでいたけれど、さすがにアメリカ生活が長いせいか珈琲になっていました。歩きながら伊勢丹の前を通過した時に「ここはデパート?」そう「日本のMACYS」といった具合にニューヨークにあるもので説明できるので、86年にニューヨークのソーホーを一緒に歩いた時のことを思い出したりして楽しかったです。で。その伊勢丹の前のマルイの7階のスタバに行ったけど土曜日なのでものすごい行列。当然満席。

 

 

それでふと通路を見ると8階は屋上と書いてあり、しかも英国式庭園という名前。それでスタバで珈琲をテイクアウトして「上に英国式の庭園があるからそこに行ってみない?」というと二人ともキョトンとした顔をして「上?  庭園? どうゆう意味?」 ニューヨークのビルの屋上には庭園はないから想像もできなかったみたいだけど、そこに行くと人もまばらで小さい英国式の庭園があって驚いた顔をしてました。でも「excellent...こんなところに...」とちょっと懐かしそうな表情をした時はイギリス人に見えました。

 

 

 

RAVENをデパートの屋上に連れてっちゃった(笑)。というおまけネタでした。ライヴ・レポはYGウェブ・サイトに載るみたいなのでチェックしてください。今回撮影した写真はプロモーターさんのサイト(15日)、BURRN! (14日)、にも掲載されます。お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK



            

    RAVEN来日アーカイブ思い出と裏話 : 1995〜2015

2019.03.07 Thursday

 

 

 

 

 

 

4度目の来日公演目前のRAVENネタをもう1本。その前に3度目の来日公演の時に、RAVENの記事を10回に渡りSPIRITUAL BEASTのサイトで連載したけど、それもまだ生きているようなのでご覧になっていない方はこちらもどうぞ

 

 

 

1995年 : 初来日は今から24年前のチッタ。ラモーンズも解散をアナウンスをした慌ただしい年に必ずRAVENのネタが降ってくるというのが私の人生。RAVENはアルバム『GLOW』をZEROコーポレーションからリリースしたけど、正直元気が無く、らしくない作品になった。その理由を現在、発売中のライヴ盤のライナーでB! 奥野クンが明かしている。「喉の不調で声が出せなくなった」ことが原因と。

 

それでも『GLOW』リリースから初来日に繋がったのは元 B!編集長とZEROコーポレーションの関係者の皆さんが来日に向けてあれこれプッシュしたことも影響したと思う。もしかするとこれは最初で最期かと当時は思えたが、そんな時に来日公演が決まっちゃうのもこのバンドの持つしぶとさなのかもしれない。そしてこの初来日公演もそのこと(声の問題)を記録したライヴ盤として残った。セトリは載せないのでライヴ盤で。

 

 

 


初来日はライヴも見たいが撮りたいしで大変だったけど、意味ある公演を撮れた。この後日本に滞在してスタジオに入りライヴ盤のミックスをしてバンドは帰国。こう書きながら何だか余裕のある時代だなと思う。スタジオではフィルム写真のセレクトをメンバーとした。86年にニューヨークでジョンと初めて会い、私が写真の修行でニューヨークにいる間も会ってはいたが、10年後に東京のスタジオでライヴ写真のセレクトをしているとはね。仕事になったことも感慨深い。とにかく初来日で一歩進んだ。

 

 

 

 

2009年 : 2度目の来日公演まで14年もかかるとは思ってもいなかった。マークが2000年にヘリで運ばれるほどの大事故に合い車椅子生活になってしまったことも影響した。でも2000年半ばから海外にライヴを見に行ったファンのレポートからは徐々に復活していく様子は伝わってきた。車椅子→松葉杖→棒立ちだけど、ステージに立てる→ステージでスライディングした。と。そして2度目の来日が実現。

 

東京は渋谷O-EAST。キングレコードからリリースした『Walk Through Fire』は日本発信で海外でのリリースも決まりだしバンドに少しでもLuckが訪れたと思え本当に良かった。O-EASTのライヴは撮るのも見るのもようやく余裕が出来てやっと曲やライヴを撮りながらでも普通にを味わえた気がする。O-EASTの楽屋や撮影をするスペース(が上の階に)あり、そこで談笑しながら円山町の景色を眺めていた。今回の公演初日でも飛び入りするマーティ(フリードマン)を、2009年にメンバーに紹介したのが最初。この頃はメタル・ファンがマーティとRAVENがなぜ繋がっているのかを知らず驚いていた。RAVENと私とマーティの関係は書籍『メタル現場主義』に書いたのでここでは割愛。

 

 

 


2015年 :  6年振り3度目の公演。NWOBHMをプッシュするスピリチュアルビーストから『Extermination
』をリリース。コンスタントに来日も決まった。もうクローズしてしまった原宿のアストロホールというステージ面積の小さい小屋だったので、天井やその辺の機材を壊しそうでリハーサルの時からヒヤヒヤ。バンドはどうせおかまい無しなんだろうけど。と言えるほどマークがマークらしいパフォーマンスをできるようになっていたということ。

 

 

2009年のO-EASTの時のリハでは実はまだほとんど定位置から動けなかったのだ。このバンドの歴史は不運続きだけど、ステージに立てればそれでいいというメンタリティと情熱だけをもしかしたら一番感じた公演がアストロホールだったかもしれない。客観的に過去3回の来日公演のことを振り返ると、ジョー・ハッセルバンダーの存在がファンの好みを左右したし作品とも比例していたが、この原宿の公演は日本で見ることのできたRAVENの公演の中でもとても彼ららしいショウだったと思う。もちろん初来日の感動は越せないけれど、コンパクトながらアスレチック・ロックの真骨頂を見せてくれたと思う。

 

 

 


そして2019年3月14&15日。いよいよ来週。ドラマーにMike Hellerを迎えての新しいRAVENを拝める。グループ・ショットもライブ撮影もこんなに長く撮っているバンドはいないかも。ジョンは今、声(喉)のためにヨガからの声帯を維持するトレーニングを取り入れたそうで納得。久しぶりにテレキャスのザクザクにエキサイトしたい ! !  


すべての写真の無断転載禁止 / All Photos©yuki kuroyanagi.

 

RAVEN関連のブログはここにも書いてます

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     渡米計画スタート : THE WHO

2019.03.01 Friday

 

 

 


久しぶりにアメリカを走ることにした。ランニングではなくもちろん車。
「爆走ライディング」好きだし、MLB観戦とアメリカの国立公園巡りも好きなので、30代で遅い免許を取ったのもメジャーの延長戦を見のがさないためという現実的な理由。旦那ともラスベガス周辺の4州は巡ったりしてきた。今回は女友だちと気ままにモーテルを泊まり歩き(アメリカの)温泉に入ったりする旅。

 

 

 


旅は目的や嗜好や価値観が同じ相手と行くのが正解。ラモーンズ・ファンと行った聖地巡礼ツアーもそうだし、ナバホのエリアが好きなので、そこに対しての興味や価値観も同じ相手と行く旅は感動もシェアできる。今回の本当の目的はTHE WHOのUSA TOURだ。チケットもゲットしフライトもマイレージで確保。これで仕事に張り合いも出る。

 

 

 


日本で待っているだけじゃ自分の好きなバンドを見逃すことを知り、海外に目を向けたのは20代の時1980年代。自分の好きなバンドは見事に日本に来なかった。

 

 

1989年に『Tommy』を再現するショーがアナウンスされ迷わず決めた。キース・ムーンが死んじゃった時、行動を起こせば見られたのに見れなかったことに後悔した。あのドラミングを生で見ていたら (My Generation live 1967) 人生感、ロック感、間違いなく変わっていたはず。狂ってていいんだ、と(笑)。

 

 

 

 

Tommy』は私にとって無人島に持って行く一枚なので即決。円柱のロイヤル・アルバート・ホールもあの映画にぴったりで、出発前日に足を縫う怪我をして靴を履けなくなったから、ゴジラのスリッパを履いて飛行機に乗りロンドンに降り立った(実話)。その時のゲストはこんな感じ。こんなの絶対1980年代の日本で見られるわけがなかった。エルトンジョンはもちろんピンボールのエルトンで登場(号泣)。Steve Winwood (Eyesight To The Blind), Patti Labelle (The Acid Queen), Billy Idol (Cousin Kevin), Phil Collins (Uncle Ernie) and Elton John (Pinball Wizard). このライヴは1989年の10月だったから、ちょうど30年後の今年、私はまたTHE WHOをアメリカのハリウッド・ボウルで観ることになる。

 

 

そしてTHE WHOを2本見たらアメリカを走ります。 あれもしたい、これもしたい、あれも食べたい、あれも買いたい。欲張り欲求を満たすためにGWもスルーしてとにかく働くぞ。頑張ろう自分 !

 

 

 

 

Life's Gas, Life is short by joey ramone.

ジョーイの包み込むような声が素敵なこの曲をテーマにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK



            
calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
sponsored links
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
2008JUGEMキャラコングランプリ
キャラクターデザイン:磯崎洋助/「おしゃれひつじ」