2018年のファン・クラブ活動予定

2018.01.15 Monday

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 

 

 

まずは、アメリカ旅行の間に思いついたオンライン・ストア・グッズの紹介から〜。こんなもん作ってみました↓↓

 

 

さきほど、ブログにスーパー・マーケットのネタを書いたけど、アメリカのスーパーのお菓子売り場に行くと”FUN PACK”っていうチョコレートやキャンディーのごちゃまぜに詰め込んだでっかいチョコレート・アソートの袋が売っている。それを見て思いついた!!?

 

「ラモーンズ・ファン・パック」を作ろって!? w  私が今回LAのAMOEBA RECORDSでゲットしたラモーンズに関するものあれこれを、今回の旅で3回も行ったUS POST OFFICE(郵便局)でゲットした箱に入れて販売します。

 


中身はTシャツ〜YOOHOO缶(※賞味期限が怪しいので飲むべからずw)〜マーキーサイン入りのパスタソースの瓶w 非売品含むあれこれと一緒に詰め込んだ箱=☆FUN PACK☆ 中身の詳細は明日アップした時にオンライン・ストアで詳しく載せます。販売は明日の夜。

 


そして現在ホーム・ページをパーツごとにリニューアル中。少しづつネタをアップデートしていくので、これはしばしお待ちください。年末から今年に入り新会員の入会が増えました。で、その時に好きな1曲を書いてもらっているんだけど、そこからよく長いメールをくれるファンが増え、これは『Thankyou RAMONES』の感想であったり(ありがとう!! )、「学校で話す人がいないから」だったり。そしてよく見るセリフが「ついつい長くなってしまってすみません」の文字。

 


それで話したいことがあるならば!!  会員は私とチャットしない? w という思いつき。で、会員番号を持っている人に限りダイレクトメールを受けつけます⇆必ず返事を書くコーナーを。どこに?  HPのJoin&Contactのここです。ここをクリックするとメールできます。質問でもなんでもたわいない話でも会話したい人はどうぞ。仕事が忙しい時はすぐに返信できないけど、まあ1週間以内には返事します。来るのか? まあページは作ったよ。

 

 

最近、手紙で感想をくれる人がいてこれはすごく嬉しい。私がジョニー(ラモーン)と長いこと文通していたので、真似して手紙で送ってくれたりしてるんだけど、これも返事は手紙で書きます。手紙はいいね。私は好きです。相手としっかり向き合える。

 

 

 

それから。昨年11月に日本公演を終えたCJ RAMONEのツアーのレポートと、その時にCJと話した話や今後の未来のこと。いつまで活動するのかまで、話したこともきっちり書きます。正直、昨今、亡くなってしまうミュージシャンが多くて悲しいけど、ラモーンズの流儀で「最後宣言」して終わるのは、それはそれで心して向き合えるからいいと思う。この話も報告します。ライヴ・レポートはなぜ大阪公演からSEに「続・夕日のガンマン」が流れるようになったのかの理由も。

 


さらに、90年代に作っていた会報vol.2もスタッフSHINくんが仕事の合間に復活させるのでそれもお楽しみに。イベントも考えています。順番にアナウンスするのでお待ちください。少ないスタッフで頑張ってますんで〜。お手伝い係はいつでも募集中。デザイナーのヤーボくんも新しいデザインのバッジを私とあれこれ考案中です。

 


年末のアメリカ旅行で、アメリカの音楽シーンに触れたりレコード屋に行ったりラジオを聴いていると、もう肌で感じるわけ。ラモーンズはクラッシック音楽なんだって。でも日本ではそれがまだ新鮮な形で若い子たちにも受け継がれているし、それはいいことだと思う。サポートをできる限りはがんばろうと。昨年は、本をリリースしたりファーストのレンガの壁を池袋のジュンク堂に再現させてもらったりできた。作っている私も楽しかったから、またおもしろいこと考えます。今年も宜しくお願いします。とにかく仕事の合間にちゃんとやってるので待っててぇーーーー。w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     アメリカのスーパー・マーケット

2018.01.15 Monday


 

 

 

アメリカ旅行の楽しみというか、海外旅行の楽しみに、現地のスーパー・マーケット巡りがある。これ、間違いなく #女子あるあるだと思ってたんだけど、以外とグルメな男の人も楽しんでるみたい。

 


私のお馴染みはアメリカと韓国のスーパーマーケット。どっちもとにかくでかくて日本にはないものがある。今回のアメリカ旅行でよく利用したのはオーガニックを扱っているTRADER JOE’Sとデリが充実しているWHOLE FOODS。もう店内入るだけで気分があがるね⇧⇧⇧その理由は日本では我慢しなければいけないもの、あれこれが簡単にしかも安く手に入るから。それからあればいいのにと思うものがあるからかな。韓国のスーパーの場合、お米に入れるビタミンや玄米、五穀米を好きなようにミックスして作ることができるコーナーがある。体調で「今の身体は玄米を多めにしときたいな」という時は玄米を多めに入れて自分にあったお米の袋を作れる。あれ、いつもいいなぁと思う。あとごま油のゴマを選んで絞って瓶に入れて売ってくれるあれも極上。

 

 

それと似ているのが、今回、姪っ子たちがリサーチしてて「絶対に作る」とはりきってた、WHOLE FOODSのナッツ・コーナーでナッツを選んで作るDIYのピーナツ・バターの量り売り。実際にやってみたけど、お砂糖を入れなくてもナッツだけのピーナッツ・バターって香ばしさがしっかり残っていてとても美味しかった。ナッツだけでこんなにたくさん! ↓

 


アメリカのスーパーの嬉しいところはデリが充実しているところ。ドライブ旅の時にもよくお世話になってるけど、野菜サラダが何種類もあって、前回のドライヴ中は毎日知らないサラダを食べてみるのも楽しみでした。スイーツも、カット・フルーツも種類が豊富で旅の運転の最中に手軽にフルーツを食べながら移動できていいんだ♡

 

 

もっとも私はジャンクフードも大好きなので、ガソリンスタンド(アメリカにはSAがないので、ドライブの途中はガソリンスタンドに併設されてるコンビニみたいなスタンドでスナックやドリンクをゲットする)のお菓子やスムージーも楽しいけれど。そのガソリンスタンドのスナック棚の写真をSNSに乗せたら「綺麗」と言われたけど、確かにどこのガソリンスタンドに入ってもワクワクする色がたくさんある。シェークやスムージーもアメリカのはピンクとかカラフルだから。ひとつ思ったのはアメリカのガソリンスタンドにもイートイン・コーナー作ればいいのに。どうせ土地は余るほどあるんだし。これは日本のコンビニのいいポイントかも

 

 

とはいえ、スーパーマーケーット、いくら日本で手に入らないものがあっても、値段が高かったらちっとも楽しめない。ホール・ケーキも20ドル前後で手に入るから、ちょうどこの旅で誕生日だった姪っ子たちにair B&Bのホストさんがホール・ケーキを買ってくれる♡なんていう洒落たサプライズもさらっとスーパーでしてくきれちゃう。Big Thank you♡ アメリカはやっぱり裕福だし余裕がある。チーズ、オリーブ、ターキーなどのハム(サンドイッチ用)を、ここぞとばかり買っていた10日前が既に懐かしい。さっき日本のスーパーでちょびっとしか入っていない冷凍のブルーベリーの袋500円を「やっぱりやめとこう」と手を戻す我慢...衣食住の食のストレスくらいなくなって欲しいなぁ(泣)  1/4カットの白菜300円に唸った。丸ごと1個買ったら1000円。鍋は外で食べた方がいいじゃん!?  

 


という日頃のステレス? を発散できるのも夢があるアメリカのスーパー・マーケット♡まるでマジック! w  今回Trader Joe’sでゲットしたトマト・ペースト。ホストおすすめで使い切らなくてもチューブのふたをしておけるので便利。1人ご飯にも使い勝手よいね。しかも美味しくて$2。束の間のストレス・フリー! スーパーは天国。アメリカ・ネタもう少し続く…

 

 

 

その前に ! !  ラモーンズFC今年の活動予告を書く→続く…本日2本立→→

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     国境を越えてみた

2018.01.10 Wednesday

JUGEMテーマ:アメリカ

 

 

 

 

 

遅ればせながら、昨年は本当にお世話になりました。本年もどうぞ宜しくお願いします。

 

 

9日間のOFFを満喫し、帰国したら星野仙一監督が亡くなっていてショックな年明け。野球人にしてもミュージシャンにしても逝ってしまう人が多いと感じるのは歳のせい?  合掌。昨年の1月はD.ボウイ展の仕事でスタートしていたけど、あれがもう随分昔のことのように思える。ああ、全部歳のせいなんだな。w

 


さて。「ONとOFF」を切り替えるのが好きな自分、やっと「OFF」を満喫してきた。免許を有効に使える体力があるうちはドライヴしたい運転好き。できれば 90マイルで走りたい。アメリカのばあちゃん達ハンドル握りしめて走ってるからあそこまではいける自信はあるね。こうゆう「自信過剰は良くありません」って教習所の先生がよく言うね? ww

 


今回、ご飯がイマイチでマイレージが100%たまらなくなったからそろそろやめようかなのユナイテッド航空を使ったけど、エンタメとシートに金かけたらしくそっちは良くなっていた。既に2度も見た映画『BABY DRIVER』や『未知との遭遇』が機内でもやってて気分はアップ⇧⇧主人公はドライブ・テクニックが抜群の過去の事故の後遺症で音楽がないと運転ができない少年。彼が乗ってたような赤い車で走りたく意気込んでレンタカー屋へ。アメリカは車種だけ決めたら「裏から好きなの乗ってて」という感じで自分で選べるけど、赤い車ってたくさんあるわけじゃないから…でもあったのだ。ラッキー♡

 

 

 

前半のドライブは、LAを南下しメキシコのティファナへ。トランプが壁を作る前にメキシコの国境を越えてみたかったので。メキシコへは『メタル現場主義』のメガデスのページに書いた国境の町テキサスのエルパソで25セント払って向こう側に行ったことはあるけどそれだけ。あの時も橋を歩いて渡るだけで国境は超えられたけど、今回は大陸の端っこから車でせめた。でも、行った人のブログを読むと、レンタカーはトラブルがあった時に法律が違って面倒なので、アメリカ側のパーキングに預けていけと書いてあったのでそうすることに。歩く方が町や人を見て肌で感じられるしね。

 


国境はNYの地下鉄の出口みたいに鉄の回転扉を押してぐるっと入っていけばそこはもうメキシコ。簡単すぎて「えええ〜」って感じ。暴君トランプは置いといてもボーダーラインのゆるさはなるほどなとは思った。パスポートにハンコは押してもらえるけど、そこでも「目的は?」なんて聞かれるわけでもなく「メキシコ初めて?」みたいな会話をして終わり。国境は簡単に越えられた。

 

 

 

 

扉の向こう側に出ると景色は劇的に変わる。背中を振り返ればスタバやセブンイレブンのロゴ。アメリカ側のイミグレの目の前にはモールがあって、NIKEやadidasのロゴがどかんどかんと見える。のに、メキシコに入るとティファナの店は手書きのペンキの文字や錆びたパイプ椅子の置かれたカフェ、大きな布を道に広げて物を売る親子など、発展途上国の風景が登場する。私は華やかでスノッブな世界や人にはあんまり興味がないので、メインストリートに行くまでの20分くらいの道のりはすごく楽しかった。でもエネルギーよりも疲れた空気と素朴な人たちの顔から、メキシコ(ティファナ)の経済やライフスタイルが見えた感じ。

 

 

TACO BELLなの? w

 

蓋がないのでぼけっとしているとつまずく

 

 

ラモーンズのイーグル・ロゴ・デザイナーのアートゥロ・ベガ(メキシコ人)が東京に遊びに来た時に「日本のテレビの歴史展」というのを見に行ったことがあるんだけど、ベガが昔のブラウン管テレビを指さして「メキシコは今でもこれ」と苦笑いしながら言っていたのを思い出した。少なくともティファナには最先端の新しいものは何もない。古き良きの石作りも洗練されてはいなくて、道もガタガタ。路上の蓋も取れている。だから私にはワクワクの宝庫だったけど。不思議だったのは、裕福に見えない町なのになぜか歯医者だらけ。メキシコって歯医者の町なの? と思って後で調べたら本当にそうだった。医療費の高いアメリカ人はわざわざティファナで歯の治療するんだそう。1/3くらいの値段で治療ができるらしい。

 

 

 


レストランが並ぶ観光地で、ローカルが多そうなレストランでご飯を食べた。東京のTexmexのレストランにはないメニューに挑戦したかったから、適当にお兄ちゃんに聞いて選んだのがこれ。スープにもトルティーヤ(笑) 美味しかったです。値段も安かった。どこの国でもやっぱりご飯はローカルがいいね〜。シーザー・サラダ発祥のイタリアン・レストランでそれを食べてみようかとも思ってたけど、いい値段だったし、メキシコでイタリアン食べるのも違うだろと思って写真だけ。ご飯を食べてたら演奏隊が来たけれど、日本のレストランみたいな演出じゃなくて、もっとナチュラル。それに押し付けがましくないの。観光地なのに。だからメキシコ人はみんな素朴に見えた。もっともメキシコシティに行ったらぜんぜん違うんだろうけど。看板やお土産など色がはっきりしていてカラフルで町が明るい。太陽の町っていうイメージかな。

 

 

 

帰りにギター弾きの若い男の子が私達と同じイミグレのある方向に1人でギターを弾きながら歩いててそれがすごく印象的だった。多分ギターを弾きながら歌うのが好きなんだ。仕事じゃなくて好きでずっと弾いてるって感じでずっーとかき鳴らしながら歌っていた。それがすごく良かった。メキシコで自由を感じた瞬間というか。自由がないわけじゃないんだろうけど、生きるために必死に働いている人たちが多い町っていうのが、ティファナもテキサスから渡ったメキシコも同じ印象。違うメキシコもあるんだろう。でも国境の町はそんな感じ。

 

そこに壁を作ってアメリカに入れないようにするというチープな政策は、実際にティファナを歩いたあとだと、意地悪で暴力的に感じる。でも、だからって私はアメリカに住んでるわけじゃないから簡単に批判はできない。D.ムステインが言うようにギャングの抗争もあるわけで、ドラッグ・ディーラーやギャングを侵入させない対策も必要だろうが、普通に働く人を見てしまったあとでは、東京で「国境に壁を作る !!」と叫ぶニュースを見て「へぇぇ」と傍観してるだけというわけにはいかない気分だ。

 

 

 

 

ティファナは働いている人たちの姿から余裕(?)やエネルギーを感じなかった。そこが、何というか…ソウルの市場で働くおばちゃんたちから受けるパワーとは違った。ソウルの市場は、もっとエネルギッシュでガンガンと押される圧がある。バケツにホースで水入れて野菜をジャブジャブ洗ってる姿や、ゴム手袋で自宅で作ってきたでかい弁当箱からキムチを出して並べる風景を見ると、生きてくための底力や日本人にはないタフさを感じる。でも同じ整頓されていない町の景色でもティファナはもっとゆるくて必死さを感じなかった。諦めている?

 

 

 

 

帰り、メキシコ側からアメリカ側に戻った瞬間の自分の安堵感というかほっとする気持ちと、スタバやナイキやケンタッキーのロゴ、ロゴ、ロゴの世界と、背中側の世界(メキシコ)の落差に、裕福の象徴みたいなアメリカに戻ってほっとする自分も居て複雑な気持ちになった。結局、自分もこっち側で育っているようなもんだから安心しちゃう。ジョニー(ラモーン)が、「東京は落ち着く。英語が通じなくても」と言ってた理由と同じ。ニューヨークで見ている景色=セブンイレブンとかミッキー・マウスとか野球のチームがあることと一定の生活水準が保たれているとこが。

 


でもとっても楽しかったし美味しかった。1日でそんな気分を味わえたわけだから。そしてやっぱりアメリカのフリーウェイを運転している時が私は一番落ち着くし、120%解放されている。LAまでアクセルだけ踏んでりゃいい運転を(大)満喫できて!!

 

 

続く。。。

 

 

いたるところにプロレスのマスクが売っててメキシコっぽいね〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     島忠・中野店の「匠」

2017.12.27 Wednesday

 

 

 


 

 

 


この話は年内に書いておきたかったので書く。

 

 


カメラバッグの持つ部分が壊れてしまった。旅行のスーツケースみたいにひっぱる棒を出し入れするんだけど、ネジが一個取れたらしく、下にさがらなくなってしまったのだ。どんな時も取っ手が上にあがりっぱなし。車に積む時もひっこんでくれないから場所を取る。でもバッグ本体はまだしっかりしているし軽量なので、捨てるにはしのびない。ので、島忠というホームセンターにネジを買いに行った。

 


そこにはネジ穴のサイズ表? があり、、、

 

 

 

おかげで穴のサイズはわかったけれど、どうしたらいいかわからない。自分で棒の部分を勝手に解体して、元に戻せなくなったら慌てるので、一応詳しそうな店員を探して聞くことにした。1人目のおじさんはじーーーーっと見て言った。「これ日本製じゃないでしょ? このネジは日本の少し盛り上がっているタイプだと入らない可能性があるんだよなぁ」と。あたりです。アメリカ製のカメラバッグです。

 

 

そして「俺が解体してもいいんだけど、元に戻らなくなったら困るものね?」と言いながら上げ下げの仕組みを外から覗き混んで探っている。かれこれ15分も。私が「わからないでしょ?  もう大丈夫。適当なネジ買ってやってみるから」と言うと「いや、ちょっと待って。さくらいさ〜〜ん」と別のおじさんを呼んだ。今度はふたりがかりで、このアメリカ製のカメラバッグの仕組みを外から見たり触ったりして調べまくる。もうなんというか、この様子は内科の医者状態。押したり、触ったり、覗きこんだり。そのうちにネジの穴に針金を突っ込んだ。もはや胃カメラを操作しているみたいだった。この2人は一体何者? 凄い集中力で取りかかってくれていた。

 

 

 


カメラバッグにとりつかれたかのように、触診すること20分。さくらいさんが言った。

 

 

「解体してみましょう」手術開始である。ひゃぁああ。私のカメラバック〜〜〜。汗。

 

 

でも。どうせ自分じゃ直せないからいいやと思って見ていた。2人はゆっくりと取っ手の棒のネジを全部外して棒を取り出し解体した。そこにはポリープが…じゃなくてネジ穴が3つあるのに、2つのネジが無くなっていた。さくらいさんが「なるほど…。日本のネジじゃ合わないけど、こっちの小さいので塞いで、この部分は小さめのネジで応用しましょう」と言った。ここからはもう外科医のレベルであった。オペして開腹してみたら別のポリープも発見したぞみたいな感じで、すぐに次の手をうつ。唸る。

 

 

 

私はあっけにとられてしまい(よい意味で)、2人のオペを見守った。アメリカのネジは違うらしいんだけど、何か案があるらしい。ネジとあれこれ奮闘してくれて40分が経過。日本製のネジ2つを使い、穴の部分を塞いで手術は完了した。取っ手の棒を落とし込み、持ちあげて、また下げてみると、元に戻った。ちゃんと下った。直った。感動。。。。。。。。さくらいさんは「これで当面は大丈夫だと思いますよ。じゃあネジだけ購入してもらっていいですか? 125円です」

 

 

 


これだけの話なんですが、125円のネジ売る(利益)のために、私のカメラバックを40分かけて直してくれた。それだけ。いや、それだけじゃないから書いている。感動しちゃって。日本て、この国って、こんなネジ1個にこだわるおじさんが土台を作ってくれていたよね〜、高度成長期に。と思った。さくらいさんといいじまさん、ありがとうございました。島忠・中野本店の工具売り場には「匠」がいた。

 

 

それで125円のネジとカメラバック持ってレジに並んだら、さっきのさくらいさんが今度はレジ打ちをしていたことも、何だか良かった。あとで調べたらさくらいさんは店長だった。ネジ一個のために自然に対応し、レジもうつさくらいさん、かっこいい。島忠・中野本店の駐車場から見る中野サンプラザと新宿の夜景がこの日は特にすがすがしく見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     今年の漢字は「本」

2017.12.27 Wednesday

 

 

 

 

 


今年の漢字はこれに尽きる。

 


『Thank you RAMONES』と『メタル現場主義』のおかげで今年の後半は、たくさんの新しい人と出会えた。2冊書きおろしたのはスーパー・ハードな日々だったけど、ビジョンが形になっていくのはスリリングでワクワクしたし発信するのは楽しい。書評を掲載していただいたり、書店で応援してもらったり、普段と違うアクティブでクリエイティブな人たちとの関わりも刺激的でした。トークショー、書店の壁、取材、ラジオ、読者やバンドのファンのみなさん。ありがとうございます。『メタル現場主義』は、当時の本作りをROLLING STONE誌から取材されるという波紋まで呼んで( ? ! )びっくりした。古巣の編集部には感謝。

 


毎日ゆで太郎のおそばばかり食べ(好きだけど・笑)、すぐ仕事。今、振り返ると信じられない毎日を送ってたけど、作るプロセスこそ快感なの。で。本のからくり? を少し書こうかな。

 


まず『Thank you RAMONES』
ファン・クラブ会員用のカバーは実はオリジナル。白ではなく、裏にはジョニーラモーンからの手紙が印刷されている。こんなことリトルモア出版じゃなきゃやってくれないよ〜。ジョニーからの手紙にはキーワードとなる言葉が2つ書いてあって、それは読み手に繋がる言葉だったから載せました。この手紙、箱の中から「どれどれ…」と最初に手に取った1通目でした。それでぴたっとはまった。それを載せろといわれてるんじゃなかろうかというくらいキーワードがある手紙だった。今週末には墓参りできているはずだから手を合わせてこよう。いい手紙だと思う。手紙を書かなきゃ始まらなかったしね。

 

 


後半につけた1995年の会報のダイジェストは、ラスト・ツアーのレポートをまとめたものと「裏話100本勝負」を抜粋して掲載。あれを読めば当時の様子とメンバーのキャラが手にとるようにわかるから。そこまで深く読んでくれてるファンがいるのかどうかわからないけど、私が死んでも書いとけば残るからね。ラモーンズの軌跡をこれでもか!!と書く(笑)

 

 

 

 

そして『メタル現場主義』。こっちは溜め込んできたストーリーだらけだったので、全部新鮮に受け止めてもらえたみたいで良かったです。デザインを離れてしまったので、デザイナーにお任せしたけれど、20代の勢いで書籍のデザインもやってたら、もっと80年代風の派手な書籍になったんだろうな、と昨日届いたローリング・ストーン誌の誌面(下写真)を見ながら思った。【書く x 撮る x デザインする】の合体で図画工作( ? )作業は、本当に楽しい。もし予算と時間があったらオールカラーで、イケメンのページはグラビアにしたかった。できれば撮り下ろしもひとりかふたりやりたかったな〜←イケメンのグラビアで。裏話しは、カラーの見開きのスレイヤーのページは冒険。トムアラヤが隅っこの方にいる写真だから。でもあれはあれで彼やバンドの威厳が表現できたと思ってます。他のバンドのために1ページを使わない我慢というか…

 

 

 

と、いろいろあるが、作ることこは快感だと改めて思えた。「本」の字は来年に続けて…本+「気」で本気を出してやらにゃいけないことがあれこれと。プライオリティの1つは先生不在の今、DIYでハングル検定の4級を合格すること。もう1つは1時間ちゃんと泳ぐ。体力落ちまくっててやばいから。来年はもっとブログをコンスタントに書き、オン・オフのメリハリをしっかりつけてもっとしょっちゅう走り(運転)たいな、と。

 

 

明日もブログ書こう〜と思っているけど、一応、今年もお世話になりましたの挨拶。お世話になった皆さま、本を読んでくれた皆様、本当に感謝です〜。m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 



            

        三島クン

2017.12.07 Thursday


 

 


昨日、カメラマンの三島クンとお別れをしてきました。そのことについて、ブログに書くなんて失礼かとも思うけど、書きたい気持ちがあるから、正直に書こうと思う。

 

 

三島クンと私は特に親しい友だちでもでもなかった。お互い写真の本を出していて編集者が浅原さんだったから一度飲んだことはあるんだけど、現場では三島クンに限らず、私はあんまりカメラマンとはつるまない。和気あいあいと仕事するのが好きじゃない。でも写真を見るのは好き。写真でつながる人とは繋がる。そんなある種「ひねくれ」なので、距離でいったら近くなかった。それなのに、食道癌との戦いが終わってしまった三島クンとのお別れはどうしてもしたかったし、無念の思いが湧き上がった。それは。一番キツイ現場と時間を共有していたからだったのかなと思った。

 

 

私と三島クンは、夏フェスで千葉のマリンスタジアム担当だった。私たちは雑誌の取材で撮影を任されていたけれど、カメラマンの居場所は屋外のアリーナに入るゲートの下だった。エアコンもなくカメラを置く場所も埃まみれ。日陰でもずっとそこにいるとみるみる体温が上がっていく猛暑の中で仕事をしていた。ふたりだけ。私はいつも2リットルのペット・ボトルを2本持って行ってたけれど、三島クンはいつも500mlのペット・ボトルを飲んでいた。「それっぽっちじゃ、熱射病になっちゃうよ?」と普段は話しかけないのに、夏は饒舌で余計なことを彼に言っていた。ひょろひょろと、どこかふわっとした風貌の彼は、水をあんまり飲まなくても普通に丈夫に見えた。ずっと何年かそんな感じで毎夏顔を合わせていた。でも今年は私ひとりだった。過酷な仕事を共有する仲間がいなくなって少し寂しかった。三島クンは入院していたのだ。

 

 

そのうちに、三島クンと親しい仲間のカメラマンが『SQUAD』という雑誌を発表した。写真を紙で表現し残した。素晴らしいアクションだなぁと素直に思ったけど、それが発表された時、その雑誌は三島クンの治療費をサポートする援助のための写真集になっていた。本当はもっといろんな表現をみんなこの雑誌で爆発させることが目的だったんだと思う。その発刊記念の写真展を見に行き、私はTシャツをこっそりと購入した。そうしたらカメラマンのテッペイ君に「なんでTシャツ買ったこと、本人に知らせたらだめなんですか?  心配してたことも本人に言ってほしい」と言われ、最初はためらったけどメールした。ついこの間のこと。

 

 

三島クンから返事がきた。「今年も(夏フェス)厳しかったんでしょ?  現場に早く戻りたいです。焦る気持ちを抑えなきゃと思ってる」と。だから「私たちは夏、だいぶ頑張ったからゆっくり休む権利があるよ。焦るのは治ってからでいいんじゃない?  今は休む時だよ」みたいな返事をした。それが最後だった。音楽を聴くのもしんどかったらしい。

 

 

お通夜に行ったら、写真がたくさん飾られていて本当に救われた。表現したいものを残して、ちゃんと見せて(写真は見せてなんぼのものだから)、そっち側からのアプローチがあったから救われた。写真が並んでなかったら、寂しそうなご両親の姿にまいってたと思う。他にも彼が撮った写真はたくさん残されていてお別れ会の会場にもおいてあった。仲間の雑誌の2号目でちゃんと世の中に出して欲しいなと思いながら見た。そこには欲も不要な理由もない純粋な表現が掲載されるはず。それを見たいと思って。だから写真が残っていて本当によかったと思った。撮っている方はあとのことなんてまったく考えていないんだけど、それでもなぜかほっとしている自分がいた。写真は撮るこっちの手を離れたら意味も理由も変わってしまうんだなと思ったけどそれでいんだなとも思った。

 

 

何を言いたいのか。私の勝手な思いだけを書きたいので書いてみた。現場に戻りたい気持ちを抑えていた三島クンには撮りたいものがまだあったはず。でもこっちでは過酷な撮影を頑張ってきたんだからもう休んでいいと思うし、音楽だけならそっちのラインナップも豪華だと思うから、思う存分撮ってください。お疲れさま。R.I.P.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     25日の『Power Rock Today』聴いてくれてありがとう

2017.11.27 Monday

 

 

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 


週末は『メタル現場主義』でも被写体になっていただいた伊藤政則さんのラジオ番組『Power Rcok Today』にゲストとして出演させてもらいました〜。放送を聴いてくれたみなさま、本当にありがとうございました。「相変わらず声でかい」と言われ、本の対談の続きのような暴走トーク(私)だったけどめちゃめちゃ楽しかった ! !  伊藤さんからは、ヒプノシスをオマージュして撮った写真の感想はメールで聞いていた。でも本の感想を聞くのは、昨日が初めてでワクワクドキドキしてました。

 


でも。。。

 


先に書いてしまうけど、トークが終わった瞬間の感想は「唸る」でした。伊藤さんの話術に。そんなの失礼だろ、当たり前だろ、と言われるのはわかっているがやはり書きたい。本の取材の時もそう思ったけれど、相手を立て、言葉をひきだす話術にシビれた。『メタル現場主義』の中身を的確にピックアップし、私自身と本の内容をリスナーが理解できるように「立体化」してくれる。そんなマジックみたいなトークが目の前で繰り広げられるていく。

 


そして初めて聞く本の評価「アツい本」「面白い」は素直に嬉しかったです。100点の答案用紙を受け取った生徒の気分で「やったぁ」と両手をあげてました、ブースの中で(笑)。ヘヴィ・メタルの世界の第一人者の口からそんな言葉を聞けるなんて、がむしゃらに書いてる時には考えてもいなかったから。私が伝える手段は写真。だけど活字も加えたらカメラマンに見えてたものをさらに伝えることが出来たのかなぁ。

 


伊藤政則さんは、被写体としてもそうだったけど、取材現場を誰よりも知っているし見ている。そしてそんな現場を楽しんでしまうところもロックだなと思いました。ミュージシャンよりも被写体として主張があるというか。撮影って撮り終わった時、(この人また撮りたい)と思う・思わないがあるけれど、また撮ってみたい。それはクリエイティブな匂いがして面白い画が出来上がりそうな予感がするから。

 


そんなわけでトーク後の記念撮影。本の中でSTEELHEARTのミレンコが最初に「ハグした方がコミュニケーションはうまくいく」と言ってたけど、被写体との距離感同様、トーク後にも距離感は変わる。伊藤さんも最初に「いつもの感じでいいからな」とか「ここっていうポイントは何度話してもいい」とアドバイスをくれた。もう先が見えているのだ。相手あっての仕事をしている私も見習わなければ。なぜなら、もし撮影がトークのあとだったら、表情は間違いなく良くなっているはずだから。コミュニケーションのプロセスは同じということ。

 

 

 

 

それにしても、80年代の編集部時代、自分は当時の『ROCK TODAY』のページ担当で毎週収録現場にくっついて行っていた。プレゼントで当選した人のハガキやプレゼント受け取って発送したり、オンエアーされた曲を書いてまとめ、毎号広告ページを作る担当だったから。もっとも自分の仕事はお菓子食べながら、収録現場で番組を楽しく聴けて幸せと思ってただけの呑気なラジオ好きだったけど。あれから30年経っても伊藤さんはまだ喋って発信している。本当に凄いことだ。そしてツバキハウスで遊んでいただけだし、どんな表現が的確かわからないれど卒業生(自分)で良かった。いろんな意味で楽しくて奥が深い土曜の夜でした。

 


私も頑張ろう。私の双子(2冊の本)のプロモーションはまだまだ続きます。たくさんの人に読んでもらえるように頑張ります。引き続きよろしくお願いします。伊藤さんの番組『Power RoCk Today』はRadikoのタイムフリーで今週中はまだ聴けます。良かったらぜひ聴いてみてね。しっとり大人な雰囲気で話す柴田さん(Anthem)の次の26時26分頃に、でかい声で登場です。。。あぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            

   『Thank you RAMONES』のトークショーは内容が貴重すぎ

2017.11.24 Friday

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 

 

 

韓流原稿を無事に書き終え、堂々とブログを書けますなう(笑・仕事の原稿書いてからブログを書きましょうってことね)

 

 

さて『メタル現場主義』の楽しい3時間トークショーの翌日は、レンガの壁を延長して12月10日まで飾ってくれる池袋ジュンク堂の9階フロアーで『Thankyou RAMONES』のトークショーでした。

 

 


ラモーンズに関しては、ルードギャラリーでのトークショーの諸星さんもそうでしたが、基本、今私自身が話をうかがいたいと思っている人たちにお願いしている。自分の記憶も曖昧になってきている55歳の現実(ボケんのか? )

 

 

聞きたいことはまだまだどっさりある。自分の知って居る記録(記憶)を、トークの相手と話をしているうちに蘇らせたり時間を共有したいのです。簡単に言えば「ああ、あの時ね」って言いたい。そうしなければ、私の気持ちはまたアウトプットしていくばかりで、空っぽになってしまうんじゃないかと思って。だからフジロックでおなじみのプロモーター、SMASHの小川さんにお願いしてみることにしたのです。そしたら案の定、まわりから言われましたよ(笑)「遂に小川さんまで引っ張り出した」って。

 

 


そう。「あの小川さん」なのだ。えらい人なのだ。1988年からバンドが終わるまでラモーンズを担当していたのがSMASHの小川さん。どうしても聞いておきたかったんです。聞きたい気持ちが勝っちゃって「NO」と言われたら諦めればいいと思っていた。それで図々しく(毎回、図々しいんだが…)お願いしてみたら、ラモーンズ・ファンに親切な小川さんは「思い出せるかなぁ」と言いながらOKをくれて実現したのです。

 

 

ここから書く話はおもしろいよ〜!? 私も知らなかった実話が出る出る、あるある。後半に行くにつれて加速する感じで、3時間はやりたかったが、さすがに小川さん相手にそれは頼めません。改めて前日の増田くんありがとう。さっそく...

 

 

※質問するの嬉しそうだし左のめり(笑)  photos by Tsugio-kun. 

 

 


実話1 : ラモーンズは、「車の渋滞が嫌だからって、川崎のクラブチッタまで東海道線(電車)で行ってた」そうです。しかもジョニーは「快適だ」と言ってたらしい。びっくり。私も帰りだけはCJと電車で帰ったことはある。サラリーマンと一緒にホームに並んで電車に乗った。終演後の汗だくのファンは、ホームで自分の前に並んでるのは本物のCJラモーンなのか!? と呆然としていた様子が面白すぎて今も忘れられません。「なんで電車? いや、違うよな? やっぱ本物?」とか言いながら(笑)

 


小川さんにしてみれば、思い出したことをたださらりと言っただけだと思うけど、セリフのひとつひとつがファンからすれば黄金の語りなのである。私の頭の中は、川崎駅から革ジャンでチッタまで歩く「私らと同じじゃん」な行動をするラモーンズの面々が浮かび想像しただけで面白かった。きっとチッタの前で当日券待ちのファンにつかまっただろうけど、せっせとサインしてそうだなとか。川崎のあの商店街の中のあそこの道を歩いたのだ。NYの街を歩くラモーンズの写真は何度も見たことあるけれど、川崎駅から改札通って歩いていく4人のラモーン・・・・シュール。唸る。

 

 

 

※ジョーイ、切符入れ忘れたりしてそう...

 

 

 

さらに小川さんの黄金トークは続く。実話2 : 90年頃、楽屋はジョーイと他の3人の部屋と2つに分かれていたんだけど、「ご飯は確かリハーサルのすぐあとに食べてたよね?」「そうです(by 私)」で、小川さん曰く「ジョーイの部屋に出前を運ぶとジョーイから「ジョニーって何頼んだの?」と聞かれ、ジョニーからは「ジョーイは何頼んだの?」って聞かれてさ。もうおまえら何なんだよ!?  そんなに気になるなら自分で聞けばいいのにって思ったよ」にファン大爆笑。みんな目をきらきらさせて聞き入ってました。と、書いてる自分が「前のめりですっげー楽しそうに小川さんに質問投げてましたね」と言われたが(笑)  だっておもしろいんだもん !  

 

 

※写真はイメージです。でもだいたいこんな出前をお箸で食べてたよ。

 

 


実話3 : マーキーの懺悔部屋?  アル中で一度首になっているマーキーは88年に急遽バンドに戻り、そこからはラモーンズのメンバーとしてツアーを続けたが、一度だけ「教会へ行きたい」と言われ港区の教会につれていったことがあるそう。「少し待ってて」と言われた小川さんは車で待っているとしばらくしてマーキーはリラックスした表情で戻ってきたそう。そのことに関して小川さんは「きっと気持ちを落ち着かせたかったんじゃないかな?」に対して私「いや、違うと思う。ホテルの部屋にあったミニバーのお酒のんじゃったんだと思う。それでこのままでいくとまたヤバイと思ってリセットしに行ったんだと思う」と憶測を返したりの妄想キャッチボール・トーク。結局「そうかもね〜」でまとまったけど、こんな私よりも至近距離でしかも立場はファンじゃなくビジネスの相手として信頼しているからこそのやりとりの一部を語っていただき、集まった人たち+立ち見(でごめんね)の皆さん、大満足でした。

 

 

※写真はイメージです。w 

 

 

 

話は続き、2000回記念のくす玉のことや、ジョーイが釘踏んでそのままにしといて悪化した事件 ( ! ! )とか、引退が決まり今後の仕事を心配するスタッフやメンバーの話も聞けて私が保管していたリアリティはアップデートされた感じ。22年も経ってるからこそ話せる話もある。いろんな角度から話を聞くと面白いな〜と実感できたトークショーでした。小川さんも「ああ、そうだ、そうだ」と後半に行くにつれ思い出してくれてもっと聞けたらもっと思い出してくれそうでした。前列でラモーンズファンの両親と話を聞きに来てくれた、ちびっこラモーンたちの小川さんの話をかきとめていたノートにびっくり。すご〜い。

 

 


休日に池袋まで出向いてくれたSMASHの小川さんには本当に感謝です。ありがとうございました。小川さんは昔エルビス・コステロを担当されていて、ファンを大事にする姿勢をコステロに教えられ、以来、「ミュージシャンが望むことをやろう」と思ったそうだ。これが1995年、12公演もあったラモーンズの公演後にファン・クラブが毎日( ! ! )当時そうポピュラーでもないミーグリをやらせてもらえることができた理由でした。担当が小川さんでなかったら、ラモーンズとファンがあそこまで密になる機会が作れたかどうかわからない。それは本当にそう思いました。

 


実話を知った瞬間、止まっていた絵が動き出すように、現実的になっていく面白さ。諸星さんが語ってくれた京都のライヴ・ハウスの前でタクシーが来なくて豪雨の中にたたずむ4人を、工事用のハイエースを止めて乗せてもらった話もしかり。映画『ナイトミュージアム』みたいに、止まっていた絵や時間が動きだすようでした。それは革ジャンとジーンズのユニフォームで、イメージを崩さないラモーンズだから、想像する作業を安易に出来たとも思う。そのことすら計算されてたのかもと思ってしまうくらい。

 


とにかくラモーンズは他の解散したり終わってしまったバンドと少し違って、ALIVEだ。もちろん音ありきなんだけど。なんかすごいなと思ったトークショーでした。2本のトークショーは、趣向はぜんぜん違ったけど、私的には2本共とても楽しくお客さんと時間を共有できた気がしました。喋りっぱなしだけは嫌なので。足を運んでくれたみなさま、本当に楽しい時間をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 



            

    やっとブログ書けた! 2本のトークショー終了しました!

2017.11.20 Monday

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 

 

11月10日の新宿ネイキッドロフトで『メタル現場主義』そして翌11日のジュンク堂池袋店芸術フロア=レンガの壁フロアでのトークショーで『ThankyouRAMONES』のトークショーでした。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました ! ! !   を、とっとと書けよって話です。すみません。m(_ _)m  いや、今回ばかりはブログを書く余裕…全くなかったです。先に書かなければいけない原稿もあり、(実はあと1本韓流コラムもあるが締め切りは明後日)、撮影もひと段落したので、書いていきます。

CJラモーンの日本公演で彼と話したいろんなことも。

 

 

まずは『メタル現場主義』のトークショーのことから♡

 


この日は来てくれたお客さんが暖かかったぁ…皆様、ありがとうございました。旧友・増田勇一君の司会進行が秀逸でさすが ! ! で、私の言葉をぐいぐい引き出してくれました。「トークショー?  いいよ〜」と二つ返事で引き受けてくれるのも旧友「増田君」ならでは。しかも3時間の長丁場。ありがとう〜。

 

 


ゲストで飛び入りしてくれたマーティは、最初「22時じゃ間に合わないかも〜」と別の現場にいたはずなのに、(おそらく? )予定を入れ替えて参加してくれたのです。もう2年近く撮影しているドキュメンタリー映画のクルーも一緒だったので、みんなあの映画に写ってたら記念が増えるね〜(笑)

カットしないでね〜って言っておこう。

 

 

マーティのトークは(テレビ用じゃなく)普段のまますぎてそれもまた彼らしく良かった。だってトークの壇上にいるのに私が以前貸したRAVENのファンジンを「あれ返したっけ?」と普通に喋っちゃってたもん。でもあの距離感が彼らしさ。『メタル現場主義』に書いた素で普通にロックの話ができる相手のままが見れたのでは? 取りかこむ環境が変わっても彼は変わらない。最高ね。本を持ってくれている写真はお願いしたのではなく宣伝に使ってと送ってきてくれたんです。いい人だね。

 

 

 


来れなかった方のために写真の裏話を少し書きます。もう手にとってくれている方も多いけど、1ページ目のご挨拶の写真はレミーでした。あのポーズを「やって」と頼んだんだわけだけど、改めて撮影した写真を全カットを確認してみたら、あのポーズはなんと1枚だけ。次のカットは持っていたタバコをふかしている画だった。そうゆう人だよな、レミーって、と思ったね。あんなポーズ、彼は本当はサービスじゃなきゃやらない人ってこと。それでもレミーのあのポーズは2、3枚はあると思ってました。

本を書き終えた時に、「よくあれだけのこと覚えてるね?」といろんな人に言われたけど、写真を見ると思い出せる。さらに前後のカットを見ると現場を残しているので、その時の空気も思い出す。「この時は、撮られるの嫌いでひとりダルそうにしていたやついたな」とかね。

 


トークショーが終わってからFacebookやコメントなどたくさん受け取ったけど、それを読んでも来ていた人たちが暖かく尚且つ大人でした。その中に「よくライヴ会場でお見かけする人だなと思っていたけど、声はかけられなかった」や「僕は80年代を知らず畔柳さんのことを知らなかった」というものあった。それらを読んで、あ、声はかけてくれてぜんぜん大丈夫ですから〜、怖い顔して撮ってるかもだけどって書いとこう(笑) 「私のことを知らなかった」というコメントには、それはあえてそうしていたからです。このことは初めて書くけど、私は編集部を辞めてNYに行って帰国して東京の撮影スタジオに入社した。けどその時の面接官が「バーン!」の読者だった。だから…もしかしたら私はスタジオを合格できたのかもと思ったっていう話。

 


スタジオ業務は相当過酷。朝から深夜まで続く労働。だからスタジオマンの募集年齢は18歳から25歳までが平均的。当時の私の年齢は29歳。それでも合格できちゃった。面接官に「元バーン!」のスタッフだったことがバレた時、「10歳も下の子たちとコミュニケーションはとれますか? 年下に命令されても働けますか?」と聞かれ「はい。できます」と答えただけで私は合格になった。それはありがたいことだし、自分のキャリアは事実だからいいと思うけど…「元バーン!」じゃなくても合格してたのか?  とは思った。

 

 

だって「元バーン!」の私は、年齢オーバーな上に、まだ撮影のノウハウもつかめないアメリカ帰りの初心者。そして自分の写真の個性も完成していないただのアシスタントでしろーと。それでも「元バーン!」という言葉を使えば私は動きやすくなるんだなというのを知ったけど、それじゃまずい。ハングリー精神で向かっていかなきゃフリーランスとしてあぐらをかいてのスタートになってしまう。そして、そのうちつまずくだろうってこともこの時にわかった。最もアメリカでひとりだったから、肩書きは必要なかった。だから敢えて聞かれない限り「元バーン!」は封印し、スタジオの10代と同じ気持ちでカメラマン一年生になりすましてた。編集者からカメラマンにキャリアアップなんてかっこいい言葉だけど、実がともなってなきゃかっこ悪いだけだしね。

 


今のカメラマンはもっと自分をセルフ・プロデュースするのがイイみたいなご時世だけど、29歳の時の自分は「元バーン!」を封印して、見た人が「この写真かっこいい」って気がついてくれればで勝負したかったっていうのがあったかな。そして、その頃(1992年頃)、ジョニー・ラモーンから「オマエはやれるからファンクラブを運営してみろ」指令が出て、(やってみるか…)と、ぐいぐいそっちに傾倒し、ラモーンズ・ファン・クラブをやっているカメラマンになっていったんです。

 

⬆︎⬆︎⬆︎

 

話をトークショーに戻します。FACEBOOKに「車に乗らないよ〜」と写真を載せた島忠で買った黒いボードは、当日限定の写真やコピーを貼り付けて展示しました。例えばラーズの別カット。あと手書きでレミーの自宅の地図まで勝手に書いた。それから当時どうやって雑誌ができていたのか(って活字にするとなんか社会科見学みたい・笑)とか、紙で印刷する時代だったので、版下という紙に文字やバンドのロゴを手書きで作っていった話などもボードに書いたり、喋ったりしました。あと、NY資金を貯めるためにお弁当を作って行って大野奈緒美ちゃんに売っていたという話もバレた(爆) 何が恐ろしいって増田くんの記憶力。すごすぎる。あの程度で良かった〜(汗)

 


あとイケメン・ベスト10の1位に男性からのクレームが多いですね〜(笑) 女性からくると思ってたら、ぜんぜん来ないので意外と母性本能をくすぐる何かをもっているのかも!?  それか話題にするまでもなく論外? (笑) ま、いいや。人それぞれ、好みってあるし〜。

 

 

 

写真でグラビアにしたバンドのエピソードも書いてないけどあります。ロニー・ジェームス・ディオは気遣いのできる人だし、撮影にもすごく協力的でメロイックサインも「先にやるかい?」なんてやってくれるんだよね。自分は背が小さいから「待て待て、俺が前に立つ」と笑いながら前に立って若いバンドのメンバーに指示を出す。若いバンドやアメリカのパンク・バンドからも慕われる理由は会えばわかる。と、いうのも文章では書けてなかったりと、書いても没になったりとか、いろいろあります。フィルムの劣化や編集の問題で二転三転して、本当にグラビアの写真も印刷ぎりぎりで差し替えたりとかね。ジョーン・ジェットの金髪写真だって本当はカラーで見せたかったけど、しょうがない。とか。

 


でも形に出来た。楽しんでもらえれば幸いです。2冊の本は大事な双子の子供みたいという表現をしているんだけど、55歳のひとつの区切りになった。みなさまのおかげです。プロモーションまだまだ頑張りつつ、ラジオの出演もあれこれいただいているので、自分の本(双子)、大事にしなきゃな。

 

 

そういえばネイキッド・ロフトを(撮影)現場にしたかったので、カメラのライト(傘)も立ててみました。本当はあれテーブルに置いておいたカメラのシャッターを切るとパシャってライトが光るようにセッティングしたのに喋るのに夢中でシャッター切り忘れました(カメラマンなのに…笑) そしてカメラマンなのに写真はみんなにもらったものをパクりました。すみません。

 

 

 


引き続き、プログはレンガの壁の前で仰天エピソード登場の『ThankyouRAMONES』のトークショーのことを書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 



            

     『Thank you RAMONES』トークショーの詳細 #2

2017.11.10 Friday

 

 

 

 

JUGEMテーマ:ROCK

 

 

 

 

しゃべり倒す週末 ! !

 

 

明日、11月11日(土)は、池袋ジュンク堂で15時からトークショーを開催します。

こちらは無料。NYで撮影したファーストのレンガの壁の前に、80年代からRAMONES の来日を担当してきたプロモーター、SMASHの小川大八さんをお迎えして1時間のトークします。私は先週のCJと話したあれこれなどを話す予定。引退はいつなのか、今CJが考えていること、バンドのメンバーのこと、次のリリースがあるのか、ないのか、日本のファンのこと、向き合って話してきたので、時間の許す限り話します。

 

 

そしてゲストも登場です。このトークショーね、正直言って、私が聞きたい(笑)。2000階記念ライヴのくす玉を考えたのは誰?  とか大雪の日に成田へ行く車から形成電車に乗せた小川さんの心境は?  そしてどうして靴を脱いで座ってみるおざしき、浅草の常盤座でラモーンズのライヴを決行したのか?  などなど。ここぞどばかりにあれもこれも聞こうと思っています。スーパー貴重な1時間、ラモーンズ・ファンもロックが好きのあなたも、無料だからお聞き逃しなく。この際だから聞きたいことは質問しちゃいましょう。

席は予約して抑えられるそうなので、今すぐ03-5956-6111ジュンク堂池袋に電話して予約しましょう。

 

 

そして翌日12(日)はWOWOWで先日のCJラモーン東京公演でのライヴ映像を含む、ラモーンズ・ヒストリーという特集が放送されます。そちらもお見逃しなく。インタビューでは私も少しだけ答えました。またCJへのインタビューアを任されたので、ちょっとだけ深いことも質問できたと思います。カットされていなければ、新しいエピソードが観れるはず。お楽しみにー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



            
calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
sponsored links
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
2008JUGEMキャラコングランプリ
キャラクターデザイン:磯崎洋助/「おしゃれひつじ」